コロナ禍必携の古典、真の自己を尋ねるガイドブック『十牛図』

プロレス界から、心と体の探究の世界へ『なりたい自分になるための、フェルデンクライス(第1回)』

私は占術家として活動を行なって15年近く経ちます。
その間に様々な悩み、痛み、葛藤を持つ方々と向き合って来ました。いえ「向き合っている」というのは私自身のエゴかもしれないと思うこともあります。いつも感じるのは「占い」に頼らざるを得ないほどに追い詰められ、頼って来て頂いても結果的に「占い」の力では救われない方々、掌から零れ落ちてしまう方々がいらっしゃることです。
どんなに良い鑑定結果を提示しても、どんなに励ましても、どんなに寄り添ったとしても、その人を取り囲む周囲の眼差し(誤解や偏見や無理解、不寛容や利己的思考など)や、社会環境やシステムが変わらない限り、その人は孤立し、明日への希望を見出せず、諦めにも似た面持ちで日々を歩いて行かざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
私自身、不登校や10年にもわたるひきこもりを経験して来ました。心の病やホームレスも経験し、毎日が生き地獄とも思える惨憺たる人生を過ごした時代がありました。
それでも命の灯火を燃やし続けられたのは、人の優しさや愛に触れ、微かな希望を心に手繰り寄せて来たからです。「AGLA(アグラ)」も、いつかはそんな誰かにとっての「微かな希望」になれれば良いなと思っています。
既存のスピリチュアルメディアはどこか浮世離れしていて、現実世界から乖離している感があります。昨今、世の中では「ひきこもり」というワードが「犯罪」という文脈の中で語られている現実に、悔しい思いを噛み締めています。
私は「AGLA(アグラ)」を徹底的に社会の流れと直結した、より思索的で提案、提言型のスピリチュアルメディアにしたいという希望を持っています。誤解や偏見で苦しんでいる人が、社会の眼差しに追い詰められて孤独に陥らないように見守り続け「大丈夫だよ」と応援してあげられるメディア、追い詰めていく側に対しても「こう考えてみてはどうですか?」と提案出来るメディア。そうありたいと願っています。
では何故「スピリチュアル」という旗を掲げているのか。
そうした目的があるなら「スピリチュアルメディア」を標榜しないほうが得策なのではないか。
そう思われる方も多いでしょう。スピリチュアルは世の中と隔絶したところにあるものだという誤解を持っている人は多いようです。神や霊といった目には見えないものばかりを語り、現実には目を向けない、閉鎖的な世界なのだと。
私は15年にわたる鑑定活動の中で、どんなに自分の悩みや苦しさを軽減したり緩和させるようなセラピーやヒーリングの類が身近にあっても、それを受け取れない、触れに行けない、足を運べないという人たちをたくさん見てきました。
セラピーやヒーリングは、施術者があってこそ成り立ちます。その施術者との邂逅は、その人の自発性にかかっています。自分の心や体を癒したいという欲求や渇望があって、そしてそこに足を運ぶための時間的、経済的余裕があり、尚且つそうした価値観を自分の世界に取り込む、心のゆとりや知的好奇心も必要です。しかし現実には残念ながら、それが持てないという人もいらっしゃいます。
「スピリチュアル」という分野にはそれぞれ専門家はいます。しかし「スピリチュアリティ」とは誰の心にも宿っているものであり、自身で実践し、自身で「気付く」もの。自身の心の中に宿るものです。
「セラピー」や「ヒーリング」といった価値観に救いを求められない、触れられない人に対しては「スピリチュアル」は必要なテーマとなって来ます。私の考える「スピリチュアル」は、人の心を弄んだり、誘導したりするものではありません。
「スピリチュアル」こそが「利他」の精神に根ざしたものです。
自分の心が自然と調和し、豊かになれば、自分の心を俯瞰から眺めることができ、人の心を慮れます。人の心を想像し、人の立場に立って物事を考え、人に寄り添うことができます。
現代は「個」と「個」が分離した社会。今こそ、想像力豊かに人を思える、本当の「スピリチュアル」が必要なのではないかと思うのです。
「AGLA(アグラ)」で取り扱う「スピリチュアル」も、隔たった思考へと誘導するものではなく、自分の心の輝きに気付けるような記事を掲載していきたいと考えています。
また「スピリチュアル」「セラピー」「ヒーリング」といったテーマだけではなく「人」そのものにフォーカスした企画も打ち出したいと考えています。
例えば、自然災害、病気、事故といった絶望的な状況に追い込まれながらも、悲嘆に暮れるばかりではなく、家族や町や愛する者のためにと立ち上がり、物作りを行ったり、新しい意欲的なプロジェクトを立ち上げて、周囲を明るく照らしている人がいます。そういう人にスポットを当てて、誰かが逆境から立ち上がるためのヒントとなればと考えています。それもまた私の考える「スピリチュアル」です。またそういう方々の活動を支援することが出来たら、より幸いです。
また、社会的にマイノリティーといわれている人々のために立ち上がっている人もいます。マイノリティーがマイノリティーと社会から見なされる要因を、「個性」と捉え、面白がり、そこにこそスポットを当てていこう、隠す必要はないと声をあげている人がいます。様々なイベントを仕掛け、人々の意識を変革していこうとしている人がいます。そういう活動も取り上げて、応援できればとも考えています。
いずれは動画コンテンツやイベントなども行いたい希望があります。
読者と繋がり、誰かが誰かを思う連鎖が、リアルな場でも広がれば、もっと寛容に、もっと利他に溢れた社会になるのではないか、そう信じているのです。
そのために「人の心と体に資する情報」を、貪欲に伝えていきたい。それが願いです。
AGLA(アグラ) 久保多渓心