愛する人を亡くしたあなたへ ① 〜死を忌む日本と、祝福するメキシコ〜 1本の映画から考える「死と生」

2019.8.5

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

今回は1本の映画を通して「死」と「生(愛)」について考えてみたいと思います。

パレルモ・シューティング

ご紹介したいのは2008年製作のヴィム・ベンダース監督作『パレルモ・シューティング』です。

私はヴィム・ベンダース監督の大ファンで、中学時代に公開された「パリ・テキサス」で完全に彼の描く世界に魅了され、以降の作品「ベルリン・天使の詩」「夢の涯てまでも」「時の翼にのって / ファラウェイ・ソー・クロース!」も何度も繰り返し観たほどでした。

さて、この『パレルモ・シューティング』という作品を簡単に言い表すとするならば、「死」との邂逅によって「生(愛)」を見出していく物語だと言えます。

世界的な名声を手中にして活躍する写真家のフィン。彼は写真にデジタル処理を施すことによって新たな現実を創出していました。

日々仕事に追われる彼は心身共に疲れ果て、いつも「死」にまつわる夢を見てしまいます。

そんなある日、フィンは車を運転しながらドイツ・デュッセルドルフの街並みを撮影していると、偶然にもある男を写真に収めてしまい、そのせいで危うく大事故を起こしそうになります。

その後、撮影で訪れたイタリアはパレルモの街にすっかり魅せられ、彼は撮影後も滞在することに決めるのです。

パレルモでの休日を満喫していた彼ですが、矢で彼を射ろうとする謎の男に追われます。

フィンはやがてその謎の男と対峙することになります。

その男の正体とは「死神」であり、そして「死」そのものでもあるのです(役名はフランク。名優デニス・ホッパーが演じています)。

フランク(死)はフィンにこう語りかけます。

フランク(死):『フィン 君は人生を敬っていない』

フランク(死):『別に写真に恨みはない。見事な発明だと思う。私の仕事に役立つ。"死の発現" 写真とは本来そういうものじゃないか。"生" の捕捉だ。"ネガ" というものは人生。そして光りの反対面だ

フィン:『今のカメラは違う デジタルの時代だ』

フランク(死):『それが問題なのだ。デジタルは実在を保証しない。好き勝手に手を加えられる。すべてが混乱し、いい加減なものになり、本質は失われる。それこそまさに君が失ったもの。君は世界を恐れている。本当の光、本当の闇をわかるか。君は現実を飾り、さらには再生しようとする。それが死の恐怖だ』

フィン:『生がわかるのか』

フランク(死):『私の本質を知らぬな。私は生を愛しているのだ。私なしには生は理解出来ない

フランク(死)『うんざりだ。悪人を演じるのはつらい。私は優しいのに。皆、私を残虐だと思う。私は始まりだ。行き止まりなんかじゃない。唯一の出口なのだ。なぜ、これほど 私を誤解する。誕生の手助けは感謝される。だが私も同じなのに忌み嫌われる』

フィン:『俺に何か出来ることは?』

フランク(死):『今何と?』

フィン:『あんたを助けたい』

フランク(死):『そんな言葉を!初めて聞いたよ。君にやってほしいことは・・・』

フィン:『何だい?』

フランク(死):『恐怖をすべてなくすこと。つまり・・・わかるかな?私を敬え

フィン:『どうやって?』

フランク(死):『私の本当の姿を示すのだ。私は彼らの内側にいる。私自身の顔は己自身の顔。醜い死神は人々の思い込みだ

死を忌む日本

つまり、死というものへの価値観とは、私たちの生への取り組み、考え方、心の在り様とイコールであるということなのです。

私達は、日々「死」に向かって生きています。

これは、この世に生を受けた以上、避けられない、逃げられないものです。

そして同時に、人として生きている以上、必ず愛する人を「死」によって失うことにもなります。愛する家族、友人、恋人、そうした人々と共に同じ時間軸を私達は生きていますが、それはつまり「死」への道程を共に生きているということですし、愛する人と共にある残り時間は止まることも、増えることもなく、刻々と消費されていきます。

それほど私達は「死」と密接に繋がって生きているにも関わらず、その「死」を恐れ、見て見ぬ振りをしているかのようです。

日本人は「死を忌む」文化を持っています

死を忌まわしいものとして捉え、通夜や葬儀の帰りには塩を撒いて穢れを祓います。「死」という穢れを家の中に持ち込まないためです。「死」が穢れだとしたら「人間」そのものが穢れた存在であるということになってしまいます。

まるで「死」というものを擬人化し、自分自身と切り離そうとしているようにしか思えません。「死」とは自分自身であるにも関わらず・・・。

死は徹底的に秘匿(ひとく)され、垣間見てはならないものとされてもいます。

死と向き合うのは近親者やペットの今際の際(いまわのきわ)か、映画やドラマのフィクションの世界だけ。死と分離した、いや隔絶された世の中であるような気がします。

事件や事故、災害のニュース映像でも倫理という見えないルールによって死は隠されています。しかし厳然と死は存在し、むしろ私達そのものが死を内包して存在しているのです。

中南米やアフリカ、アジアの一部地域などでは、ニュース映像などで遺体が映し出されるシーンが日常的に放送されたりします。「死」を秘匿された環境で生きている日本人からすれば、それはおぞましい映像にしか見えませんが、しかし、そういった国の葬儀ほど明るく、日本のような悲壮感は感じられないものです。

勿論、亡くなった人との別れを惜しみ、涙に暮れ、悲しみはしますが、その悲しみは次第に「祝福」へと変化します。故人の天国への旅立ちと、第2の生を祝うのです。

こうした国では「死」は開かれたものです。そして多くの人々が明確な「死生観」を持ち、「死」と「生」が一体のものであることを熟知しています。

10代で考えた「死」

私が「死」について深く思索するキッカケとなったのは、10代の頃に読んだ遠藤周作さんの1987年の著書「死について考える/ この世界から次の世界へ」によってです。

この著書の中で『パレルモ・シューティング』のフィンのように、遠藤さんも「死」についての夢をよく見ることを書いています。

例えば自宅の部屋の中に遠藤さんがいるのですが、その部屋の向こう側の部屋は死んだ者の部屋で、その部屋から芥川龍之介が遠藤さんの元へやって来て、向こうの部屋へ一緒に行こうと誘うのを、遠藤さんは「嫌だ」と拒むのです。

この本で印象に残っているのは、人は外国旅行をする時には、行くべき国のホテルや食事や交通機関や天候について調べるのに、死後に行く世界について人は、知ろうとしないと語られている部分です。

勿論、死後の世界についてのガイドブックはないし、手掛かりは何もないけれど、人は「死」が身近なものになると、今まで気にもしなかったことが意味を持って話しかけて来る、病室の窓から見える夕暮れの樹、どこかで歌っている子ども達の歌。生活の中でこれまで当たり前に存在していたものが、価値がないと思っていた、それら1つ1つが人生の中で大事に大事に感じられて来るのだと書かれています。

そして人は「死に支度」をすることが大事なのだとも。「死に支度」とは何も死ぬための準備をするという意味ではありません。やがて旅立って行く次の世界から、かすかに聞こえて来る音に、じっと耳を傾ける心の在り方を形作っておこうではないかということです。

つまりそれは「死」について考える時間を持ち、「死」は紛れもない自分の一部だと実感して生きることに他ありません。その心の在り方が「生」に反映されるのです。

もう1つ、10代の頃に印象的なことがありました。友人がメキシコへ旅行に行き、観光地や町並み、人々の暮らしの何気ない光景をつぶさに写真に撮って来て、見せてくれたのです。

その中の数枚に目が止まりました。それは「死者の日(Día de Muertos)」といわれる故人へ思いを馳せる盛大な祝祭の模様を写したものでした。

日本のお盆と似た風習ですが、厳粛な雰囲気は一切なく、人々は笑顔に溢れ、町はオレンジ色のマリーゴールドの花で飾り付けられ、賑やかそうです。

メキシコ人にとって「死」は恐れる対象でも、秘匿してしまう対象でもなく、「死を笑い」「死と親しみ」「死と戯れる」という基本的な態度があるそうなのです。

こうしたメキシコ人の死生観は、アステカ文明に起源があるようです。

アステカの人々は「死」を「新しい命へと生まれ変わる1つの過程」と考えていました。「死」とは「終わり」ではなく「永遠の生への1つのステップ」に過ぎないというわけです。

先ほどニュースなどで遺体が映し出されるシーンが日常的にあり、そうした国ほど明るく死者を弔うと書きましたが、その典型がメキシコのような気がします。勿論、治安の悪さもあるでしょう。

しかし、もう少し考えを深めてみると、気付くことがあります。しっかりとした死生観を持って、明るく死者を送る国というのは、その建国の歴史に迫害や圧政や貧困といった厳しい現実があった国が多いのです。

つまり命の危険に晒され、いつ死んでもおかしくないという状況にあってようやく「今日という一日を如何に生きるか」に意識を注ぎ、「今日も生きてここに在るということの奇跡と喜び」を大切に出来るのです。まさに「死」と「生」が地続きのものであることが分かります。

友人が撮って来た写真の中に、もう一つ私の目に止まった写真がありました。世界遺産にも登録される色とりどりの建物が建ち並ぶ美しい町グアナファトある「ミイラ博物館」の写真です。そこには赤ちゃんから大人まで、約200体のミイラが整然と並べられています。

このようなミイラ博物館という存在が成り立つのも、メキシコという国が「生」と「死」を相反するものとして捉えていない証拠でもあるでしょう。

先ほど書いた、明るく死者を弔う国というのは、得てして土葬が中心です。日本人が「死」を徹底的に日常生活から排除し、恐ろしいものとして捉えて来たのは「火葬」という風習が定着してからです。遺体を灰にすることで「死」を遠ざけたのです。日本人が「4」という数字を嫌い、避けることにも「死」への恐れが端的に表れています。

メキシコ人が底抜けに明るく、質素でいながらも、人生を謳歌しているように見えるのは「死」を明るく捉えているからでしょうし、「死」を恐れていないからでしょう。「死」と「生」は相反せず、一対の存在であることを教えてくれます。

 

次回は「死を忌む」文化がもたらしたもの、愛する人の「死」をどう受け入れていくべきかについて考えてみたいと思います。

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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