2019.10.4
京都東寺 ~最強の密教寺院で仏の慈愛と出会う〜『四季に寄り添い、祈るように暮らす(連載第二十四回)』

10月は晩秋。菊の花が咲き始め、木の葉が赤や黄色に染まり始めるので「色取月(いろどりづき)」と呼ばれるそうです。
私の故郷である東北では、菊の花をおひたしやお味噌汁に入れていただきます。菊の花は単なる飾りでなく、立派な食材。そういえば、母とドライブに出かけた時のこと。満開の菊の花を見て、「おいしそうね~」と母がひとこと。思わず、吹き出してしまいました。
あれから、菊の花を見るたび、母の満面の笑みが頭に浮かび、思わず、思い出し笑いをしてしまう私です。
さて、私が執筆した「福を呼ぶ 四季みくじ」の絵を描いて下さった仏画家、観瀾斎さんの作品展が、京都東寺で、12月22日まで開催されています。
14回目となる今回のテーマは ~願われているわたしに出会う~ 「慈愛とのであい」。
ちょうど京都では10月後半から11月、12月と雅な紅葉を楽しむことが出来ます。
今日は、平安京を守護した密教寺院「東寺」の歴史、空海が宇宙を表現したとされる講堂の立体曼荼羅についてご紹介しながら、東寺にて14年にわたり作品展を開催している観瀾斎さんの作品の数々をご紹介します。絵守りの力があるといわれる観瀾斎さんが描く仏たち。
仏が鏡となり、あなたの心が、今この瞬間のあなたが映し出される。
そこには必ずや、あなたの心に深く語りかけてくる仏がいるでしょう。
唯一残る平安京の遺構、東寺

"Taishakuten Śakra, 839, Tō-ji" ©️SLIMHANNYA (Licensed under CC BY SA 4.0)
創建からおよそ、1200年。東寺は平成6年、1994年に世界遺産として登録されました。平安遷都とともに建立された東寺は官寺(かんじ)、つまり国立の寺院。桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇は、唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した弘法大師空海に東寺を託しました。
当時、平安京鎮護の寺として建立が許されたのは東寺と西寺のみ。ですが、西寺も羅城門も、時の流れに消え、西寺の寺域の大半は、現在、民家の下で永遠の眠りについています。
一方東寺は、度重なる戦火も奇跡的に免れ、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉といった錚々たる武将が仏の守護を願い、境内に本陣を置き、1200年を超える今も、如来、菩薩、明王といった仏たちが、当時と変わらぬ場所で私たちを迎えてくれます。
東寺は、唯一残る平安京の遺構。毎年、この地に足を踏み入れる瞬間、東寺が刻んできた歴史の重みを感じ、厳かな気持ちになります。
私がはじめて東寺を訪れたのは、東日本大震災が起こった2011年の秋でした。仄暗いお堂へ続く扉をあけると、大日如来を中心として安置された21体の仏たちと、その姿を静かに見つめる人々の姿が。あの日、物言わぬ仏たちと対峙し、気がついたら私の頬を涙が伝っていました。
今年、東京国立博物館で開催された特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」。
足を運ばれた方もいらっしゃるでしょう。40万人を超える人々が訪れ、空海がつくりあげた曼荼羅の世界を体感、祈りの時を過ごしました。取材で、陣頭指揮を執る東寺総務部長の三浦文良さんに改めて、立体曼荼羅の意味について尋ねる機会をいただき、あの日の自分を思い出しました。
空海は『御請来目録』の中で、密教は奥深く、文章で表すことは困難である。かわりに図画をかりて悟らないものに開き示す、と記しているそうです。
三浦さんは、「本質的なものであればあるほど、その全体像を言葉や文字で的確に表現することは難しい。例えば、宇宙を言葉で示せと言われて、どんなに言葉を重ねても言い尽くすことはできません。空海は二次元の絵画や、三次元の立体造形での表現方法に委ねることで、真言密教の教えをわかりやすく、的確に伝えようとしたのでしょう」と。
曼荼羅は古代インドのサンスクリット語の音訳で『本質的なものを有するもの』という意味を持つそうです。
私たちは、混乱や不安に満ちた日常生活の中で、その本質的なものを見失うことがある。人としての本来のあるべき姿、仏の慈悲と智恵に照らされた姿に立ち帰りなさい、という空海の祈りが込められているであろう、講堂に林立する仏像たち。神も仏もあるものかと怒りにさいなまれながら、それでも救いを求めて生きている方がいる。救えるのは私たちが日常使っている言葉ではない。私たちの言葉を超えた言葉があるはずである。
そうおっしゃる三浦さんの言葉に、あの日の涙の意味を思いました。
あなたを見守る仏の慈愛と出会う
観瀾斎さんの作品展が行われているのは、「人がひとりを超え得たとき、人は菩薩となる」という仏の教えを実践する場所とされる食堂(じきどう)。
空海三大霊場である東寺、高野山金剛峯寺、四国善通寺等で作品展を開催する観瀾斎さんが生み出す鮮やかな色彩、独特なタッチで描かれる仏たちは、日本はもとより、アメリカやフランス、中国等、世界各国の人々を魅了しています。
お父様の突然の死により、ショックから心の病を抱え入退院を繰り返していた兄、幼い弟たちを養うため大好きだった絵の道をあきらめ、家計を支えるために中学卒業とともにがむしゃらに働き、夢と希望を見失った30代。
観瀾斎さんは神仏の存在を問うため、3年もの間、真冬たりとも一日も欠かすことなく、仕事を終えると、その足で山を登り、滝行を続けました。そこで、「この世に神仏はいる」と確信する出来事に遭遇し、キリスト、聖母マリア、釈迦、観音菩薩。自分の中から溢れ出るありとあらゆる神仏を描き続けたのです。
そして、何かに導かれるかのように開かれた仏画家への道。
「画家への夢が、観音菩薩さまへの帰依を通じて、仏画家への道を開きました」。
そう微笑む顔は、まるで仏さまのようです。
瑠璃、平和の行進、慈愛、希望(のぞみ)、華(はな)と名づけられた仏たち。
14回目となる今回の作品展のテーマは ~願われているわたしに出会う~ 「慈愛とのであい」。
それは、真実に気づかず迷い、苦しみ、悲しむ、六道をさまよっている無明のわたしたちひとりひとりをいつも見守り、かわいいと抱きしめてくれる、仏の慈しみの姿。
みな、願われて生きている。
観瀾斎さんが思う仏の慈愛「I love you」。
まるで、私たちの心の奥深くにある思いを見つめるかのようなまなざしに思わず足を止め、じっと絵に見入っている人もいれば、観瀾斎さんに熱い思いを伝える人、何度も何度も食堂に足を運び、同じ絵を見てお帰りになる人など、さまざまだそうです。
「私たちは本来、仏なのである」
空海は「私たちは本来、仏なのである」という言葉を残しています。
人生の中でさまざまな迷いを持ち、絶えず心が揺れ動き、苦しみを味わう時間の中で、心眼を開き仏の眼で世界を見つめると、すべてのものの存在の尊さがわかる。すべてが宝物のように思える。今ここにいる、悩み苦しみ、もがいている私たちひとりひとりが、尊い、宝物のような存在。仏なのでしょう。
是非、東寺へ。
講堂の立体曼荼羅、観瀾斎さんが描いた仏たちの前に立つ時、きっとそれぞれに感じる思い、受け取る何かがあるはずです。
東寺「かんらんさい展」
令和元年9月20日(金)~12月22日(日)
〔会場〕東寺 食堂(じきどう) 〔時間〕9時~16時30分
〔入場料〕無料
観瀾斎
1946年京都府生まれ。空海三大霊場である東寺、金剛峯寺、善通寺等で作品展を開催。画集「四国霊場88カ所奉納経帳」の他、版画絵本「観瀾斎の千の風に」を全国書店、ニューヨークにて同時発売。http://www.kanransai.com/
三浦奈々依 のプロフィール

フリーアナウンサー・神社仏閣ライター・カラーセラピスト。
ラジオ番組にて20年以上にわたり、音楽番組を担当。
東日本大震災後、雑誌Kappoにて約7年にわたり「神様散歩」の連載を執筆。心の復興をテーマに、神社仏閣を取材。
全国の神社仏閣の歴史を紹介しながら、日本の文化、祈りの心を伝えている。
被災した神社仏閣再建の一助となる、四季の言の葉集「福を呼ぶ 四季みくじ」執筆。
→ http://ameblo.jp/otahukuhukuhuku/
アマゾン、全国の書店、世界遺産・京都東寺等で販売。
カラーセラピストとしても全国で活動中。
旅人のような暮らしの中で、さまざまな神社仏閣を訪ね、祈り、地元の人々と触れ合い、ワインを楽しむ。