2019.3.27
「知ろう」とする行為、新しい体験領域に飛び込む勇気によって得られること

「知る」ということの大切さ
私は、うつ病などの心の病を抱えていらっしゃる方に、いつもお話をすることがあります。
精神科や心療内科で「うつ病」だと診断されたとしたら、医学によって貴方の心は「正常」であるとお墨付きを貰ったということなのだと。
政治も、社会も、人々の心も疲弊し、錯綜し、混乱し、冷えきって行く中で「正常」を装っている方がよほど「異常」であり、「強さ」と「弱さ」の二元論の中に封じ込められていくことは何よりも息苦しいものです。
この世の中を、必死で生きていく中で、痛みを抱え、迷走し、自分を責めなければならなくなった方々にこそ、私は親近感を感じ、愛おしくさえ思えてしまいます。
ある本の中でリリー・フランキーさんもこのようにお話をされています。
「サブカル・スーパースター鬱伝」吉田豪 著
心の病を持っていらっしゃる方々の多くは、ご自身の病気、そしてそのような状態にある自分を卑下されており、将来に悲観的な展望しか見出せないでいます。
そして狭い価値観の中に、佇みながら、自分や周囲を決めつけてしまい、身動きが取れなくなっています。
それは、ご本人や、ご家族が、病気への理解や知識を深めることなく「知る」努力を怠っていたり、「知ろう」とする気概すら失っていたり、「知ろう」とする動機にさえ巡り会えていない現実があるからでもあります。
人は「知る」ことを恐れる
「知る」ことを拒むということ。それは新しい地平に踏み込むことをせずに、じっと今踏みしめている場所に佇み続けるということです。
では何故、今踏みしめている場所に佇み続けるのでしょうか。それは一歩を踏み出すことに恐怖を感じているからです。
自分の家の庭先、またはベランダを想像してみて下さい。いつも自分の家の庭先やベランダからだけ外の世界を伺います。
そこから一歩外に踏み出すと、きっと自分は立ち所に居場所を見失い、心細くなるに決まっている。
そこには自分を傷付ける人達がいて、否定されたり、非難されたりするはずだ。外の世界はきっと快適ではなく、庭先やベランダのように自室にすぐには逃げ込めない。
外の世界を知り、踏み出すということは、自分の立場を危うくし、これまで信じて疑わなかったことが否定されてしまい、傷付いてしまうかもしれないのだと、自分が傷付いてしまうことのリハーサルを心の中でしてしまうのです。
人は自分の知り得ていることが最善でベターなものだと思いがちです。
自分の既知の範囲外に自分をより幸せにするためのヒントが隠れていたり、自分の生活を豊かにするためのキッカケが含まれているかもしれないと薄々は分かっていたとしても新しい体験をすることや、新しい価値観を自分に取り入れることは、それまで培って来た自分の歴史を否定されてしまうものだと感じてしまうようです。
映画「イントゥ・ザ・ワイルド」
この映画が公開された時、私は既に占術家としてのキャリアをスタートさせていましたが、壁にぶつかっている時期で、非常に大きな挫折感を感じていました。そんな時に何気なく、劇場に足を運んで深い感銘を受けたのです。
この作品はジャーナリスト、作家、登山家でもある米国出身のジョン・クラカワーによって1996年に書かれたノンフィクション「荒野へ」が下敷きとなっています。
アメリカの東海岸の裕福な家庭で育ったクリス・マッカンドレスは、ジョージア州アトランタにあるエモリー大学を優秀な成績で卒業するのですが、クリスはその直後に失踪するのです。
クリスは幼い頃から両親の不仲を目の当たりにしています。権威主義であり、自分の考えたレールの上にクリスがそれを疑わずに乗ることが家族の幸せに繋がるのだと信じ、そのためなら何でもお金で解決しようとする父、世間体ばかりを気にして子ども達の心に寄り添うことが出来ない母の間で、苦悩しながら育ちます。
クリスは卒業後に、名前を変え、新しい人生と、新鮮な素晴らしい経験を求めて、旅に出るのです。旅の途中で様々な人々と出会い、共に働き、生活をします。
出会った全ての人々の価値観を揺さぶり、影響を有形無形に与えていきます。
クリスはアメリカ大陸を縦断し、自給自足の生活を送りますが、毒性のあるアメリカホドイモの莢を食べて衰弱し、亡くなってしまいます。
ここで特にご紹介したいのは、クリスが旅の途中で出会ったロン・フランツという老人との交流なのです。
主人公アレックスが家族もなく友人もいない孤独で心に傷を持つ老人フランツへ宛てた手紙の抜粋を書き添えたいと思います。
(この映画は実話を元にしており、以下の手紙は実際にアレックスがフランツへ送った手紙をクラカワー著「荒野へ」から引用しています)
多くの人々は恵まれない環境で暮らし、いまだにその状況を自ら率先して変えようとはしていません。彼らは安全で、画一的で、保守的な生活に慣らされているからです。それは唯一無二の心の安らぎであるかのように見えるかもしれませんが、生きる気力の中心にあるのは冒険への情熱です。
生きる喜びはあらたな体験との出会いから生まれます。したがって、たえず変化してやまない水平線をわが物にしているほど大きな喜びはありません。毎日、あたらしいべつの太陽を自分のものにできるのです。
人生からもっと多くのもの得たければ、ロン、単調な安全を求めるのはやめて、最初は常軌を逸しているようないい加減な生き方をしなければならないのです。でも、そうした生き方に慣れてくれば、その真の意味とすばらしい美しさがわかるでしょう。
しかし、ぼくのアドバイスなど聞いてはもらえないでしょう。ぼくのことを頑固だと思っているようですが、あなたの方が頑固者です。車での帰途、あなたはグランドキャニオンという最高の景色のひとつを眺めるすばらしいチャンスに恵まれました。アメリカ人なら一生に一度は見ておくべき景色です。だが、ぼくにはわからないなんらかの理由で、あなたは家にまっすぐ帰ることばかり考えていました。くる日もくる日も、目にしている同じ場所へいっさんに。
これからも、こういう生き方をつづけて、そのために神が僕たちに発見させようとして周囲に配置してくれたすばらしいものを、あなたはなにひとつ発見できないのではないかと思います。定住したり、一か所に腰を落ちつけたりしてはなりません。あちこち動きまわり、放浪し、毎日毎日、水平線をあらたなものにしていくのです。人生の残り時間はまだまだたっぷりあります。
ロン、この機会に生活を根本から変えて、まったくべつの体験領域に入ってくれればいいのですが。楽しみをもたらしてくれるのは人間関係だけであるとか、人間関係を中心にそれを期待しているとすれば、それはまちがいです。
神は楽しみをぼくたちの周囲のあらゆるところに配してくれています。ありとあらゆること、なんにでも、僕たちは楽しみを見出せるのです。習慣的なライフスタイルに逆らって、型にはまらない生き方をするには勇気が必要です。
要するに、あなたの生活にこの種のあたらしい光りを灯してくれるのは、ぼくでもほかの誰かでもないということです。あなたはただそこにじっと待っていて、それを掴もうとしているだけなのです。なすべきことはただひとつ、自分でそれを掴みにいくことです。
あなたが闘っている相手はまさに自分自身であり、あたらしい環境に入ろうとしない頑固さです。物を見たり、人と会ったりするのです。学ぶことはいっぱいあります。
ためらったり、あるいは、自分に言い訳するのを許さないでください。ただ、飛び出して、実行するだけでよいのです。飛び出して、実行するだけで。そうすれば、ほんとうによかったと心から思えるでしょう。ご自愛ください、アレックス』
「荒野へ」ジョン・クラカワー著(2007年)集英社文庫
自分の殻に閉じこもっていて、なかなか新しい人生へ踏み出せないでいる方は自分宛てに書かれた手紙だと思って読んでみると良いのではないでしょうか。
これは冒頭にお話をした心の病について「知る」ということにも有効なのです。
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。