2020.6.1
【平安貴族の愛した香り ②】〜荷葉〜 『香りとくらし、和をたしなむ(連載第四回)』

梅雨の時期になりましたね。
梅雨というとあまりいいイメージはありませんが、湿度が高いこの時期は、燃やさずに間接的に熱を与えて香りを楽しむにはとてもいい季節です。
日本人の美意識は繊細な香りを嗅覚を通して感じ、また心で感じることによって育まれていったのだと思います。
それが、日本三大芸道のひとつである「香道」へと繋がっていきました。
今回のテーマである「薫物」と「香道」の共通点は、お香を温めて使うことです。香道については改めてお話する機会があるかと思います。
今回も、前回に引き続き「薫物(たきもの)」のお話をしてまいりましょう。
薫物の歴史
薫物は奈良時代半ばに、唐の高僧、鑑真和上によってその製法が伝えられたとされます。
鑑真和上は、日本への渡航を5度失敗し、その間に失明に見舞われながらも、6度目の渡航で来日を果たした唐の高僧です。
当時の唐は、国民の出国禁止令が出されており、密出国ともいえる状況でしたので、十分な準備もできず、いかに困難を極めたか想像できます。
鑑真和上の持参品目録には、「麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、甲香(こうこう)、甘松(かんしょう)、龍脳(りゅうのう、安息(あんそく)・・」など、お香づくりに用いる香の記載があります。
これらは香薬ともいい、漢方薬の原料としても使われていました。鑑真和上は「漢方薬の処方」も伝えたとされています。
やがて、平安時代になると宮中での薫物作りが盛んになります。
平安貴族は、お家ごとに伝わる秘伝の調合レシピがあるのですが、それをもとに香料を微調整してオリジナルの薫物を作っていきます。その中で四季に適した由緒正しい出来栄えのものを『六種の薫物(むくさのたきもの)』と呼んで継承していきました。
六種の薫物
六種の薫物には「梅花(ばいか)」「荷葉(かよう)」「菊花(きっか)」「落葉(らくよう)」「侍従(じじゅう)」「黒方(くろぼう)」の六種があり、宮中では季節に応じ、用いる薫物は定められています。
鎌倉時代に書かれた『後伏見院宸翰薫物方(ごふしみいんしんかんたきものほう)』に次のような記載があります。
六種の薫物のひとつである「黒方」は、四季にわたって焚いてもいいのですが、それ以外のお香は決められた季節以外は使ってはいけないと書いてあります。
六種の薫物の中で夏に焚いてもいいのは、フォーマルな場で使う「黒方」と夏に使われる「荷葉」です。夏の時期に梅の花の香りの「梅花」や、菊の花の香りの「菊花」を使うのはよくありません。
『荷葉』はどんな香り?
今回は、夏のお香である「荷葉」についてお話します。
荷葉とは、どのような香りの薫物なのでしょうか?昔の文献から引用してみます。
平安時代の編纂された「薫集類抄」に次のような記述があります。
(訳)蓮の花のような香りです。夏の夜にとりわけ良い香りを行きわたらせます
また先程の「後伏見院宸翰薫物方」には...
と記述があります。「はちす」とは蓮の花のことです。
この3つの文献からわかるように、荷葉は蓮の花の香りをモチーフにして、どこか涼しい香りの薫物だということがわかります。
この荷葉も、源氏物語の中で2カ所(梅枝と鈴虫の帖)にでてきます。
「鈴虫」の帖
前回の私のコラムで、光源氏が薫物の焚き方で女房達に注意をするシーンをお話しました。
光源氏が、女三宮のために仏像の開眼供養を催す日のことです。ちょうど蓮の花のさかりの頃になるのですが、この時「荷葉」が使われてます。
文章を見てみましょう。
まず「名香」はどう読むかわかりますか?
これは「みょうごう」と呼びます。「めいこう」ではありません。
「めいこう」は「名物の香」の略語で、由緒正しい、香りのよい最上級の香木のことで、香道に関係する言葉です。
香道は、室町時代の銀閣寺から始まります。
この源氏物語は、それ以前の平安時代の物語なので、この場合「みょうごう」と読んで、仏前で焚かれる焼香のことを指します。つまり、この場面では「百歩の衣香」や「荷葉」を焼香として焚いているのです。
まず、百歩の衣香は「百歩香」といって、百歩離れたところまでも香るという香りの強い衣香(衣服にたきしめるお香)のことです。この場面では仏前のお香として焚かれています。
荷葉はこの場面で、仏前に青、白、紫の蓮の造花が供えられているのですが、これに添えて荷葉が焚かれています。
前回のコラムを読まれた方は、「薫物はルームフレグランスとして使ったのでは?」と思われるかもしれません。この時代には、お香でも最上のものを仏に捧げるのが常識でしたので、衣服にたきしめるお香や空薫物も仏前に使ったのです。
そして「蜜を隠しほろろげて」とあります。
薫物は香料を調合した後、蜜を合わせて丸薬状にします。この場合は、蜜を少なくしているのでパラパラと壊れやすいのです。
なぜこのようにしたのでしょうか?
蜜は甘いですよね。薫物では蜜も香料と考えます。蜜が多いと甘いお香になりやすいので、蜜を減らすことによって、仏前にふさわしいものにしているのです。
「ひとつかをりに匂ひ合いて、いとなつかし」は、唐の百歩の衣香の強い香りと、どこか涼しい荷葉の香りがひとつになって、何か心惹かれるといっています。
たった数行の中にこれだけの意味が隠されているんです。
「荷葉」は花散里の象徴
もう一つは「梅枝」の帖にあります。
光源氏の娘(明石の姫君)の裳着と、それに続く入内の準備の場面で、源氏は薫物の調合を思い立ち、六条院の女君や朝顔の前斎院に、秘蔵の沈香を配って、「二種づつ合はせさせたまへ」と薫物の調合をお願いされます。
その中で夏の御方・花散里が、明石の姫君のために調合された薫物は、夏の香「荷葉」でした。本文を見てみますと
(訳)花散里は、他の女君たちが、競い合われるという中で、幾種類もの薫物をさし出すまではないように思い、何につけても控えめでいらっしゃるお人柄なので、ただ荷葉を一種だけ調合されました。趣の変わったしんみりとした香りで、胸に沁みいるようなやさしさがありました。
梅枝の帖では、「荷葉」は夏の御方・花散里の象徴のように扱われているんです。
梅枝ではこれ以外にもたくさんのお香に関する記述が見られ、当時の薫物の作り方など、参考になることがたくさんあります。
また、仏で花といえば「蓮の花」です。極楽には蓮の花が咲いていると説かれてますし、仏様の像は蓮の台に立っておられます。蓮の花をモチーフにしているのは、仏教、特に平安密教において特別な意味を持つからだと思います。
夏の時期のおすすめの薫物は?
前回お話した、麝香を使った薫物は夏にはあまり向きません。
麝香を使うと香りが重く、しっとりとした香りになるからです。これから暑くなる時期は、爽やかで涼しさを感じさせる薫物がおすすめです。
今回お話した荷葉もいいのですが、現代ではあまり一般的ではありません。どちらかというと香舗で販売されている「梅ヶ香」の薫物は、酸味のある梅の実をモチーフにしているので、夏の時期にはぴったりです。香舗で販売されているのでぜひ見つけてみてください。
今回は六種の薫物の中でも、「荷葉」についてお話しました。秋になりましたら「菊花」や「落葉」の薫物についてお話したいと思います。
次回は妻が担当します。テーマは「えび香」です。
多田博之・晴美 のプロフィール

【多田博之】
FOUATONS aroma&herb・お香school 主宰
薫物屋香楽認定教授香司
歯科医師
宮崎市にて21年間開業医として地域医療に携わる。偶然に出会ったお香の魅力に惹かれ、平日は診療、週末は東京にてお香の勉強を繰り返したのち、50歳の時に閉院しお香の活動に専念する。
現在、福岡と宮崎の教室を拠点に、NHK文化センターの講師として、九州各地と広島県にて天然香料にこだわったお香教室を開催。また香木の香りの素晴らしさや香道の魅力を伝えてたいと思い、御家流香道の研鑽を積んでいる。
平安期のお香の使われ方を勉強するなかで、紫式部の「源氏物語」に興味をもち、講座では、香道や源氏物語の視点も交えて伝える。
また、薫物屋香楽認定教授香司として、香の知識や技能をさらに深め、和の香り文化とお香づくりのスペシャリスト(香司)の育成に努めている。
【多田晴美】
FOUATONS aroma&herb・お香school
華結び組乃香 主宰
薫物屋香楽(たきものやからく)認定香司
アロマインストラクター、ハーバルセラピストを経て「香司(こうし)」として 香りの楽しみ方や使い方を紹介。
ハーブのもつフィトケミカル成分が、健康や美容など様々なジャンルで注目され、特にスパイス系ハーブは生薬との共通性があり、大陸から伝わったとされる「お香」の 香原料ともなっている。
日本の歴史や習慣に深く関わり、人々の心を癒してきた文化としての「香り」を「和」の心とともに普及する活動を福岡県や、宮崎県を基盤に全国で展開。
趣味と実益をかねて日本三芸道の一つ「香道(御家流)」や、室内を飾る「飾り結び」も研鑽中。 天然香料を使ったお香作りの講師として、メディアなどで香りの魅力と素晴らしさを発信している。
ホームページ→ https://www.fouatons.org/
Facebook→ https://www.facebook.com/miyazakifouatons/