【"月参り"で人生は変化する!】〜 参拝の効果を感じられない時に覚えておきたいこと 〜 「願い」が叶わないことの真の意味と、気をつけたい「願いごと」

2021.6.30

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

神様が決める人生のプロット

神社は私たちの日頃の営み、暮らしに感謝する場所です。雨露を凌ぐ家があり、空腹を満たす食べ物がある、そんなささやかだけれども、大きな恵みに対して神様に感謝を捧げます。

願いごとがあるということは、私たちが神様から拝受した深く、巧妙な人生のプロットに対して、それを許容することが出来なかったり、その都度起こる必然的な出来事に意味やメッセージを見出せなくなっている状況なのでしょう。

本来なら不可分なく与えられている人生における、その人それぞれの豊かさや恵みですが、プロットを繋ぐストーリーの中で、私たちは迷路に迷い込み、自分だけが世の中の不幸を一身に背負っていて、神の御心に触れることなど決してないと落胆しているかもしれません。

そういう意味では願いとは、この世に生まれる際に授かった人生のプロットの校正や編集を神様に依頼することに等しいのかもしれません。

神様が従来、意図していたことと主要なプロットに齟齬が生じず、その願いが結果的には神様の意思に沿った道程を経て、ゴールに向かわせ得るとの判断を得られれば、その願いは必ず叶うことになります。

しかし、神様が常日頃から周囲に撒いている意味深いメッセージに気付く心の状態や、他者への穏やかで優しい眼差しを失っていると判断された場合には、まずそれを取り戻すための試練や課題が、願いの成就より先に与えられます。

多くの人の「願いが叶わないという」という背景には、こうした神様の動きがあります。

実は、願いを叶えるための前段階の工程でもあるのに、それに気付かないで、その与えられた試練や課題を、単なる不幸だと烙印を押し、決めつけてしまっているのです。こうした頑なな心の状態が、さらに神様との距離を遠ざける結果となっているのです。

 

縁切りは願うべからず

神様は予め、その人の人生に登場し、関与する主要な人物をキャスティングしています。ある人と出会うことになっているとすると、まずはその人に価値を置くための心の状態へと導く環境や出来事を与えます。その環境や、状況が無ければ、到底その人物に好感を抱いたり、その存在自体に気付くことはありません。

そうして出会った人には、必ず自分がその先、人生を謳歌していくための貴重な気付きや、学びが託されており、それを受け取ることが必要です。その人は、自分にとって掛け替えのないギフトを運んで来るメッセンジャーの役割を果たしているのです。

その出会いは、拒むことだって、放棄をすることだって可能です。ましてや、その出会いが良いものとは限らないのですから。しかし、結果的に自分を苦しめたり、傷を負う出会いであっても、そこには神様の意図が存在します。

苦しさや、痛みをもたらす出会いの中にも、成長を促し、人間としての深みを増すための貴重な経験をもたらしてくれるものがあります。その苦しさ、痛みは、なければない方が良いのかもしれませんが、その出会いがあったからこそ、至ることのできた境地や、思いの丈があるはずですね。

その成長した自分だからこそ、価値を置いてくれる人が現れたり、その成長した目でなければ見つけられない新しい人生の要素との邂逅がまたあるのです。

このように、人との出会いは人生の重要プロットです。その出会いを迎え入れるのも、拒むのも自己責任。神様は、その決断でさえ温かく見守っていることでしょう。

しかし、この神様の描いた、授けて下さった「人との出会い」を、神社へわざわざ参拝をして「縁切り」を願う方がおられます。これは神様が書いた貴方にだけ授けられたオリジナルのプロットを否定することに他なりません。

縁切りを専門に請け負う神社も全国にありますが、特定の人物との縁切りを願うよりも、「災厄」や「病気」などとの縁切りを祈願する方が良いでしょう。

 

神社にお金に関する願いごとはしない

日本全国には、宝くじ当選のご利益にあずかれるという神社が数多く存在しています。しかし、その多くは由緒や、ご祭神の性質を拡大解釈していたり、こじつけたものが大半です。

実際に参拝して当選した方もおられますが、そうした方は既に当選する運を持っておられ、実際に当選金を手にする前に、余計な罪穢れを祓うように、その神社へ神様によって誘われているケースもあります。参拝したから、当選したのではなく、当選をする人であるから、その神社へ呼ばれているのです。

神様は、基本的に「お金」にはノータッチであり、神様がギャンブルに勝たせてくれたり、宝くじに当選させてくれたりすることは決してありません。当選された方々は、神の御加護ではなく、本来ご自身が持ち合わせておられるお金に関する運をそこで使ったか、またはご先祖などの霊的な加護によって当選されています。

宝くじなどの不労収入は、贅沢品を購入するような、とても利己的な使い方が主となります。おおよそ生産性がなく、自分の暮らしが楽になるというだけのものが大半でしょう。

その人の生活が楽になることで、社会的に素晴らしい影響をもたらし得るというような場合は、宝くじなどの当選によってではなく、その人の生活が楽になるための仕事や、その環境を神様がもたらして下さるということはあり得るかもしれません。

宝くじや、ギャンブルでの一攫千金を神社に願うことも、神様が与えてくださっている現在の環境や、人との繋がりを否定することに繋がります。今ある環境、今自分を取り巻く人々にまずは感謝をする姿勢が必要です。

もし、どうしてもお金が必要な場合は、宝くじの当選などを願わず、仕事運の向上や、自分の能力が社会に還元されることを願いましょう。

『神棚拝詞』という神棚に祀られた神様に奏上するための祝詞に、このような一節があります。

負ひ持つ業に勤しみ励ましめ給ひ
家門高く 身健に
世のため人のために尽さしめ給へと
恐み恐みも白す

おいもつわざにいそしみはげましめたまい
いえかどたかく みすこやかに
よのためひとのためにつくさしめたまえと
かしこみかしこみももうす

ここでは、自分の持ち合わせている個性や感性や才能を発揮することに努めて、先祖から続く家系、そして自分の家庭(家)をしっかりと守りながら、健康でいて、世のため人のために尽くさせて下さい、と神様に申し上げています。

これは、とても重要な一節です。

自分の身体は、自分のものであって、自分のものではありません。神様からお借りした精神と魂の入れ物です。その預かっている体を、世のため人のために使わせて下さい、と申し上げているんですね。

参拝をするときも、このことを忘れずに「どうぞ神様、私のこの身体をお使いになって、世のため人のために貢献させて下さい」と願うと、仕事がより忙しくなり、その仕事を通して、経済的に豊かになることが出来るでしょう。

 

宝くじの当選を願うのはNGですが、宝くじの当選金が世のため人のため、そして願いを聞いていただく神様、神社のために使われれば、叶う可能性はあります。こちらの記事「絵馬」の章をご参照下さい。

 

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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