登竜門の起源となった立身出世のシンボル「鯉」『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第四十回)』

2021.7.19

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

『春を告げ、法華経を読む招福の鳥「ウグイス」』の回を最後に、しばらくお休みをいただいていた『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』ですが、今回より再開させていただこうと思います。

これまで39の動物、生き物たちをご紹介しました。これはまだまだ中盤。

どうぞ、今後の更新をお楽しみに!

 

立身出世のシンボルとして

登竜門伝説

中国後漢期の歴史書『後漢書』の『李膺(りよう)伝』に書かれた故事を発端とするのが、「鯉が滝を登り切ると龍になる」という登竜門の伝説。

後漢時代に活躍した官僚、李膺は宮廷の実力者として高い地位にありました。若い官吏の中で、この李膺に才能を認められることがあれば、それは将来の出世が約束されたも同然です。

このため、李膺に認められた者のことを「龍門に登った」と形容しました。

(原文)
是時朝廷日亂、綱紀頽地、膺獨持風栽、以聲名自高。士有被其容接者、名為登龍門

(現代語訳)
この時、朝廷は日に日に乱れ、綱紀は地に落ちてしまった。そんな中でも李膺一人だけが風采(品格)を保ち、名声を高めていた。李膺のような人と親しい間柄となり、認められる者は"龍門に登った"と言われた。

『後漢書・李膺伝』
のちの『三秦記』では、『後漢書・李膺伝』の故事を引いて「龍門を登りきった魚は龍となる」としています。
(原文)
河津一名龍門、水險不通、魚鼈之屬莫能上、江海大魚薄集龍門下數千、不得上、上則為龍也。

(現代語訳)
河津(かしん)は、その名を龍門と言う。凄まじい急流で魚鼈(魚やすっぽんのこと、魚類全般)の類でそこを登ることのできるものはない。川や海の大魚が数千匹もこの龍門の下に迫り集って来るが、決して登り切れるものはない。もし登りきれたら、その魚は龍となる。

『三秦記』

龍門とは、黄河中流にある龍門山を削って流れる激流のことで、この一体には大きな鯉がたくさん生息していたという謂れがあります。

これが鯉が立身出世のシンボルとされたルーツなのです。

鯉のぼり

中国の登竜門伝説は、日本にも流入します。

江戸時代に入ると、徳川将軍家に男子が誕生した標として家紋などを描いた旗指物や吹き流しを屋敷の前に立てる風習がありました。これが次第に一般の武家階級にも広がっていき、男児の健康な成長と、武運長久を願う風習へと変遷していきました。

これを目にした江戸の商人が、旗の一部分を中国の故事に倣って鯉をかたどったものに代えて掲げたことで、広く庶民の間にも広がっていきます。

歌川広重「名所江戸百景」より, Public domain

 

縁結びのご利益

こうして立身出世のシンボル、男児の健やかな成長を願う鯉のぼりなど、吉祥魚として世の中に浸透していった鯉ですが、多産であることから豊穣や繁栄という意味合いも付加され、掛け軸などの画題としても扱われるようにもなります。

「鯉」は音読みで「り」と読むことから、利益の「利」の意味にも繋がるため、商売繁盛の図象としても重宝されました。

『日本書紀』巻第七には、以下のような鯉に関する記述も見られます。

四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸美濃。左右奏言之「茲國有佳人曰弟媛、容姿端正、八坂入彥皇子之女也。」天皇、欲得爲妃、幸弟媛之家。弟媛、聞乘輿車駕、則隱竹林。於是天皇、權令弟媛至而居于泳宮之泳宮、此云區玖利能彌揶、鯉魚浮池、朝夕臨視而戲遊。時弟媛、欲見其鯉魚遊而密來臨池、天皇則留而通之。爰弟媛以爲、夫婦之道古今達則也、然於吾而不便、則請天皇曰「妾、性不欲交接之道、今不勝皇命之威、暫納帷幕之中、然意所不快、亦形姿穢陋、久之不堪陪於掖庭。唯有妾姉、名曰八坂入媛、容姿麗美、志亦貞潔。宜納後宮。」
景行天皇紀四年の春のこと。美濃にお出かけになった天皇が、八坂入彦皇子(ヤサカノイリビコノミコト)の娘である弟媛(オトヒメ)という容姿端麗な美しい女性を妃とするため、鯉を池に放って朝な夕なに鑑賞して過ごし、気を引いたとあります。

このことから、鯉は縁結びのご利益をもたらすとされるようにもなります。
弟媛は「私の顔は美しくはなく、お仕えすることはできないので、顔も良く貞潔な姉の八坂入媛(ヤサカノイリビメ)を妃として欲しい」と天皇にお願いをし、それは聞き入れられました。

神使「鯉」

このような故事、謂れから、鯉を神使とする神社も多くあります。

そのいくつかをご紹介しましょう。

大前神社

大前神社「恵比寿像」

栃木県真岡市東郷に鎮座する「大前神社」の神使は鯉です。ご祭神は、大黒様(大国主神)と、恵比寿様(事代主神)の二柱。

若宮社(主神の分霊を勧請した社のこと)の「大前恵比寿神社」には、高さ20メートルを誇る日本一の恵比寿様が鎮座します。この恵比寿様が抱いていらっしゃるのは、鯛ではなく鯉なのです。

大前神社の前を流れる五行川

大前神社の前には、中国の根本思想である「陰陽五行」からとられた五行川が流れています。平将門が大前神社に合戦勝利の祈願をしたことから、下流域を「勤行川」ともいうそうです。

この五行川には、「御供(ごく)の鯉」という民話が伝えられています。

ある日、五行川で捕れた鯉を食べようとした侍。その鯉から流れ出た血が「大前大権現」という字に見えたので、恐ろしくなった侍は神社に駆け込んで祈祷を頼みました。

この出来事以降、生きた鯉とともに神社に参拝し、御神酒を飲ませた鯉を五行川に放流すると願いが叶うと言われるようになり、多くの人たちがそれを信じて放流を行なったおかげで五行川に鯉がたくさん住むようになったといわれます。

境内の至るところに鯉の像などが置かれ、拝殿の天井画にも鯉が描かれています。

 

松尾大社

松尾大社「幸運の双鯉(そうり)」

松尾明神が、山城丹波国を拓くため保津川を遡るとき、急流は鯉に乗って進み、緩やかな流れの場所は亀に乗って進まれたことから、松尾大社の神使は鯉と亀とされ崇敬されています。

本殿の左手には「幸運の撫で亀」が、右手には「幸運の双鯉」が安置されています。この「幸運の双鯉」を撫でれば開運出世のご利益があるとされます。

広島護国神社

広島護国神社「双鯉の像」と「昇鯉の像」

広島護国神社が鎮座するのは、広島城址公園内。広島城は別名「鯉城(りじょう)」といい、これはかつてこの地一体を「己斐浦(こいのうら)」といったことに因むものです。

このことから、広島護国神社の神使は鯉とされ、おみくじや御朱印のモチーフともなっています。

また、本殿の左手には「双鯉の像」が、右手には「昇鯉の像」が安置されており、「双鯉の像」には縁結び、夫婦円満、家内安全のご利益が、「昇鯉の像」には開運出世のご利益があるといわれています。

参拝されましたら、是非撫でてみてはいかがでしょうか。

広島護国神社の「鯉みくじ」




【鯉に所縁ある神社】
大前神社(栃木県真岡市)
松尾大社(京都市西京区)
広島護国神社(広島市中央区)
豊国神社(京都市東山区)
高碕神社(栃木県小山市)
八坂神社(埼玉県久喜市)

 

参考文献

『神道辞典』国学院大学日本文化研究所(編)弘文堂
『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監修)二見書房
『お寺のどうぶつ図鑑』今井浄圓(監修)二見書房
『神様になった動物たち』戸部民生(著)だいわ文庫
『神使になった動物たち - 神使像図鑑』福田博通(著)新協出版社

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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うらなってMe

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