人生を変えるのは"パワースポット"ではなく、自分自身!パワースポットを訪れる前に考えるべきこと

2019.4.25

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

周期的に訪れる「スピリチュアル・ブーム」の中で「パワースポット」という言葉も世間に浸透し、若い世代の方にも神社仏閣を訪れる方が増えました。

私自身も鑑定のお仕事をさせて頂くようになり、周囲で「パワースポット」探しや、「パワースポット」で得られる効果についてのお話をたくさん伺うようになりました。「場」や「空間」の持つパワーへの関心が極めて高いことを実感させられます。

この「パワースポット」という言葉には、ずっと違和感を感じずにはいられなかったのです。いえ「パワースポット」という言葉そのものではなく、「パワースポット」という言葉の世間での扱われ方、消費のされ方に懸念を抱いていたという方が適切かもしれません。

人が「パワースポット」を求める気持ち、心理的な背景には非常に危険な部分もあるということを今回はお話したいと思います。

パワースポットは人生を変えられる場所?

私自身「天河大辨財天社」などの「パワースポット」を訪れることで、1つの大きな契機となり、その後の人生を変えていった側面は少なからずあります。

しかし「天河大辨財天社」が私の人生を変えたのではないのです。何より私自身に「足掻き(あがき)」があったからなのです。

自分の人生に疑問を持ち、人生を変えなければならない、何とか目前に立ちはだかっているものを乗り越えなければならないという人生に対する「足掻き」があったからです。

そうしたタイミングで「パワースポット」を訪れることにより、神聖で厳かな空気感に包まれ、それによって謙虚になり、自然への感謝や、畏怖を感じ、自分を深く見つめ直す契機となります。

つまりここで知るのは「パワースポット」に神がおられるということよりも前に、そこには「本当の自分」がいるということなのです。

「パワースポット」を求めて訪れた神社の拝殿の奥には、自分自身がいる。
そして自分自身と真に語り合う機会を持つことで、自分がどこへ向かい、何を求め、誰のために、何をしなければならないかを問うということなのです。

ここで間違ってはいけないのは、主体はいつだって自分自身にこそあり、「パワースポット」は自発的行動と、それを支える自身の信念、思いの丈を、後押しする「ツール」に過ぎないということ。つまり自分自身こそが「パワースポット」であるということです。

パワースポットの効果を感じられない理由

「パワースポット」を訪れて、効果がなかったから、あそこには「パワーがない」と否定をし、だからといって自分で、自分の課題を乗り越えようとしたり、新しい冒険や発見をしたいと具体的な行動を取らず、利益や良縁や開運が、向こうからやって来ることをただ待っていて、常に自分本位であり続けるという方々をたくさん見て来ました。

心の奥底に払拭しきれていない、直視出来ていない思いを抱えつつ、それでいてただ受動的に幸せが向こうからやって来るのを待っているという方もいらっしゃるでしょう。

何かを許せず、何かにこだわり続け、何かから逃避し、何かを拒み、何かを受け入れられない自分が依然としているのに「パワースポット」に行ったという事実だけで、神や仏の恩恵にあずかることは難しいのです。

またその「パワースポット」と呼ばれる場所の持つ歴史的背景や、その意味について全く知ろうとする気持ちも、心の余白もなく、世間で「開運スポット」だと噂されている場所へ、自分にも良いことが起こって欲しいという一心で行かれる方も多いと思います。

以前は本当にとてつもないパワーに満ち溢れていたのに「パワースポット」ブームがやって来て、ネットやテレビや雑誌で紹介され、訪れる人が急増することで、従来あったその場の持つ「パワー」が急速に失われ、逆に人の「パワー」を削ぎ落としてしまうような場になってしまった場所も多数存在します。

「パワースポット」として多数の人に知られる前は、行くべき人だけが何らかの縁に基づいてそこへ訪れる道筋が自然に形成され、その「パワー」を体感することが出来ました。

しかし今は人が意図的に流した情報、主観と作為の混じった情報が玉石混淆となり、波のようにそうした情報を自ら求める人達の元に流れ、消費されていきます。

もはや「パワースポット」は「商材化」してしまっているのです。

本当のパワースポットとは

世の中には「パワースポット」を商材とした書籍が溢れていますし、それを紹介するサイトや旅行会社の企画するツアーなどもあります。

これはまさに安易な情報に惑わされ、自分の心の奥深くにある核心に触れないままに、ただ自分への利益だけを求めようとする買い手側と、作為や誇張ある演出のもとに歴史ある深遠な場所を「商材化」する売り手側の「類は友を呼ぶ」状況なのだといえます。

先ほど冒頭で書いた

『「パワースポット」を訪れることにより、神聖で厳かな空気感に包まれ、それによって謙虚になり、自然への感謝や、畏怖を感じ、自分を深く見つめ直す契機となる。つまりここで知るのは「パワースポット」に神がおられるということよりも前に、そこには「本当の自分」がいるということ。』

を感じることはSNSなどを通して情報の渦に溺れてしまいがちな現代人にとって、少し難しくなってしまっているのかもしれません。

「パワースポット」で今感じてしまうのは「パワー」よりも人のマイナスの念です。それは我欲であったり、畏れのなさ(ここで言う「畏れ」は「恐れ」ではなく神仏や歴史や自然に対する慎み、敬う気持ちのこと)です。

そうしたマイナスの念が今「パワースポット」と持て囃されている場所には沈着しているように感じます。

こうしたマイナスの念は霊的な観点で考えても危険を伴います。

「パワースポット」と呼ばれる場所のほとんどは霊的な因縁や物語が渦巻いています。神域とされる場所であっても、そこへ至る道すがらには、低級な霊や、眷属達も存在します。

自身の我欲や、利己性や、畏れのなさが、そうした低級霊などと同調してしまうこともあり得ることなのです。

「パワースポット」ブームの怖いところは、以前だとおいそれとは立ち入らなかったような場所に、多くの人が嬉々として何の疑いもなく立ち入っているケースがあることです。

ネットやマスコミに、ほとんどそうした場所に関する情報が載らなかった時代は、行くべき人が必然的にそこへ辿り着いていたのですが、今はそうしたことが難しい世の中になっています。

まずは貴方自身が大いなる「パワースポット」であることに気付くこと。

そして世間で騒がれている、評判の良い「パワースポット」よりも、自分だけの「パワースポット」を見つけて、その場所を愛でる気持ちを持つこと。

そして情報に惑わされず、直感を信じて、自分に合った「パワースポット」を選択することが大事なのだと思います。

「パワースポット」へ訪れる前に、まず自分を顧みることが必要なのではないでしょうか。

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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