2021.10.27
【明晰夢で人生を豊かにする!①】「夢には人生を変える力があった 」〜 わたしの見た不思議な夢 〜

AGLAのスタート当初に公開した『明晰夢で人生を変える・シリーズ』ですが、1記事あたりの文量も抑え、読みやすく改訂しました。
新たな加筆も行い、全9回に再構成してお届けします。
今夜見る「夢」が楽しみになるコラムです。
夢には人生を変える力がある
「私達が日々見ている "夢" には、人生を変える力がある!」
そう言うと皆さん、首を傾げられるかもしれません。
首を傾げる方と、「なるほど、そうかもしれない」と頷く方の違いは、自身の「夢」との関わり方、その意識の仕方にあるでしょう。
夢には、まるで映画館のスクリーンに映し出される映画作品(つまり「夢」)を、観客席に座って鑑賞している、目撃しているという、一種、傍観者的な感覚と、実際にスクリーンの中に自分がいて、自らがその中で主人公としてイキイキと活躍している当事者的な感覚とに分けられます。
貴方はどちらのタイプでしょうか、もしかしたら両方の感覚を経験されている方がいらっしゃるかもしれません。
こんなお話をたまに聞くことがあります。
「私、ほとんど夢は見ないんです・・・」
「私もそうだ!」と同意される方も多いかもしれませんが、実は、私たち人間は「夢を見ない」日は1日もないと言ったら驚かれるでしょうか。
夢を見ていないのではなく、ただ忘れているだけなのです。
印象深い夢だったとしても、覚醒後に視覚や聴覚による外的な刺激が一斉に加わって来るために、夢の記憶が薄れていってしまいます。
夢を記憶しておきたいのならば、覚醒後にすぐに起き上がらず、目を閉じたまま夢を頭の中で何度もリピートし直して、覚醒後の脳に植え付け直すという作業が必要です。
人が1日に8時間の睡眠を取ると仮定すると、その内の100分間は夢の中にいます。
成人では1年の内、3〜4ヶ月を、子供ではその半分を眠りに費やしています。
もっと長いスパーンで考えてみると、70歳になる頃には、その内の23年間を眠りに費やし、5年間は夢を見ていることになります。
これほど人生の多くを夢に費やしているにも関わらず、夢に対して無関心であるのは非常にもったいないことです。
夢は人に大きな示唆を与え、ときには癒し慰め、人生を、そして未来を輝くものにするキッカケを投げかけてくれているとしたら、どうでしょう。
誰しもに等しく訪れる「眠り」を利用して、人生を変革することが出来るのです。
わたしの見た、不思議な夢
人生の3分の1を「睡眠」に、14分の1を「夢」に費やしていることの意味とは何なのだろう。
人には無駄な要素は微塵もない。
それならば、「夢」には多くの人が気付いていない、何か大切な意味が隠されているのかもしれない。
そう考えることがよくありました。
ここでは私が "夢" の可能性を感じざるを得なかった、私自身が見た不思議な夢の数々をご紹介します。
亡き父の夢
「夢の可能性」について考えるキッカケは、父を亡くしたばかりの時期に不思議な夢をたくさん見たことでした。
その夢は非常に印象深く、時に温かく、時に神々しく、時にグロテスクなもので、しかも朝になり覚醒したあとも決して忘れることなく、細部まで覚えていることが可能でした。
あまりにも夢をよく覚えていることが出来るので、その時から人生で初めての「夢日記」を付け始めたほどです。
父を亡くしたとき、私はあまりにもショックで、その事実を受け入れることが出来ず、逃げ回っていました。
病室で父を看取ることも出来ず、父の亡骸をこの目で見ることさえも出来ずに、私が父の側へ行けたのは死後2日ほど経ってからのことでした。
「父を看取ることが出来なかった自分は、なんて酷い息子なのだろう」
そうした後悔や罪悪感があったからでしょうか、父を見送った直後から私の夢には毎日のように父が出て来るようになったのです。
夢の中の父は、あくまで私の父であって、現実に則った存在です。父が他の誰かに成り代わるような、夢特有の映画チックな演出はありません。
毎日のように父が夢に現れることによって、私は後悔や罪悪感から解放され、癒されたといっても過言ではありませんでした。
夢の中で父と取り立てて会話をするような場面はほとんどなかったのですが、父がこの世に残した私という存在を心から心配しているということ、後悔も罪悪感も全ての「死」にまつわる"負"の感情を捨てるように促していること、いつも見守っているからお前は「今」を懸命(賢明)に生きろと言っていることは十分に伝わって来ました。
父を亡くして、ちょうど1年が経つ頃、それまで夢の中で口を開かなかった父が私を直視して言葉をかけて来たのです。
「お前の夢に毎日のように出て来たけれど、もう今日でしばらく出て来れなくなる、もうお前は1人で大丈夫だ」
その言葉に続いて、父は私へ滔々と最後のメッセージを伝え始めたのでした。
父はそのメッセージを伝え終わると、振り返り背中を見せて歩き始めました。そこで目が覚めたのです。
あれほど毎日のように夢に現れ続けていた父が、本当に翌日から一切夢に登場しなくなり、それは以後も続きました。
夢に現れ続けたのは、父の霊だったのでしょうか。それとも私の父に対する後悔と罪悪感が作り上げた幻想だったのでしょうか。
中世の騎士の夢
この夢は3歳前後から10代にかけて頻繁に見ていました。
私が中世の騎士で、戦に敗れたのか勝ったのかは定かではありませんが、傷付いた何人もの馬に乗った兵士を引き連れて城に凱旋するのです。
森の細い1本道を進み、城の前まで辿り着くと門番に合図をし、跳ね橋を下ろさせます。
そして城門を潜って馬を降り、礼拝堂(私の父方の先祖がキリシタンだったのは偶然でしょうか)で祈りを捧げた後、城主のいる部屋へ赴くのです。
この城へ向かう道、そこから見える光景、城の間取りなどもハッキリ今でも記憶しています。
夢にだけ頻繁に出て来る1人の女性
現実の世界では一度も会ったことがないのですが、夢で何度も数年に渡り見続けた後で、実際にその女性に街で出くわすということがありました。
その後、その女性を何故ここで?と思いたくなる辺鄙なところでも何度も目撃することになります。
私は福岡に住んでいますが、旅行先の東京や大阪、熊本など、遠方・近場問わず、あらゆるところですれ違ったり、同じ空間にいたりするのです。もし偶然だとしたら、どれだけの確率になるのでしょうか。
この女性とは、ある時期を境にピタリと遭遇することがなくなりました。あれは何だったのでしょうか。
そして、もう一つ印象的な夢があります。
夢の中で黒づくめの男に地下駐車場の壁際に追い詰められて、拳銃で撃たれる夢を見たのですが、その際に「拳銃で撃たれたらこういう痛みがするのか!」と実感できるほどの強い痛みと、熱さをお腹に感じました。
あくまでも夢の中です。
そしてその後、目を覚ますと夢の中で撃たれた腹部の同じ箇所に、ちょうど銃弾ほどの大きさの赤い火傷のような痕跡が残っていたのです。
あの、強烈な腹部の痛みと熱さは、今でも鮮烈な記憶として残っています。
夢の内容に直結した話ではありませんが、こういう出来事も幾度か経験しました。
いつものように夢から覚め、目を開けて現実に自分が眠っている寝室を見渡すと、先ほどまで見ていた夢に登場する人物や、動物などが寝室を歩き回っているのです。
確かに目を開けていますし、体も起こしています。それに自分の寝室であることも間違いなく、カーテン越しに朝日が部屋に差し込んでいるのも見えているのです。
先ほどまで、夢の中に登場していた人物や動物たちは、私の姿には一瞥もくれず、部屋を闊歩しています。それをじっと凝視していると、やがて霧が晴れるように薄くなり、かき消えてしまいました。
このように私は不思議な夢を数多く見て来たという経緯があるため、夢に対する関心が非常に強かったのです。
「夢」とは毎日見ているものでありながら、なかなか日常で多くを語られることはありません。
しかし、私はあの父の夢による経験で、「夢」には人を癒したり、現実を自分の思う方向に変える力があるのではないかと考えるようになるのです。
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。