2022.1.22
神社仏閣の素朴な疑問 〜 神社には行ってはいけない時間がある?

「月参り」など、神社仏閣に関するコラムを書かせていただいていますと、参拝などに関する素朴な疑問を寄せていただくことがあります。
その中から、いくつかの疑問にお答えしたいと思います。
『AGLA』の「月参り」コラムを読むようになって、神社に興味を持たれるようになった方からのお問い合わせです。
多忙なので、仕事帰りの夕方に参拝しているが大丈夫かという、ご質問です。
神社には行ってはいけない時間がある?
大都市のビジネス街には、古くからその土地を守護している鎮守様を祀った神社が鎮座しているものです。
通勤途中、職場の近くにある、そうした神社に参拝をしてから出勤するという方は多いかもしれません。朝は慌ただしいので、仕事帰りの夕方に参拝をしている方も多いでしょう。
また、夜のお仕事をされている方が、出勤前の夕方に商売繁盛の願いを込めて参拝されるケースもおありかと思います。
神社へ参拝する時間に関して、時折ご相談を受けることがありますが、そんなとき私は夕方の参拝は控えるよう注意を促します。
この夕方の時間帯を「逢魔時(おうまがとき)」といい、古くから魑魅魍魎(ちみもうりょう)や魔物の類が跋扈する時刻であると考えられて来ました。
どんな神社も、お祀りされているご祭神の御力にすがろうと境内周辺には魔物が跳梁しています。日中はご祭神の神威が及んでいるので、魔物は鳥居から中へ結界を超えて侵入することは出来ません。
しかし、夕方になって薄暗くなると、ご祭神は社に鎮まり、太陽神であるところの天照大御神様がお休みになられるので、境内に監視の目が行き届かなくなってしまいます。
この隙を狙って境内に侵入して来るのが魔物たちです。この "魔物たち" とは一体いかなる存在なのかという点は、ここでは説明を省きます。
侵入した魔物たちは、神社内に佇んだり、辺りを足早に歩き回ったりしています。そして何とか、自分の霊的な力を高めようとするのです。
こうしたときに、感受性の強い方や、波長が合う方、心身ともに疲弊をしていたり、体調を崩しているような方には、その姿が見えてしまったり、写真に撮影してしまったりします。

「夕方より、深夜の神社の方が怖いし、夕方には神社の境内で子供たちが遊んだり、地元の人たちが集って井戸端会議をしている光景をよく見るではないか」という疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
実は、深夜には日中に参拝された方が置いて行かれた境内の罪穢れ、邪気はリセットされ、清浄になります。このタイミングで、再びご祭神が本殿にいらっしゃるので、魔物たちは境内から排除されてしまいます。
ですから、深夜の方が夕方より安全ということにはなります。ただ、深夜になると神社は防犯の観点からも閉門されていますし、境内に入れたとしても真っ暗なので、わざわざ参拝しようとする方はいらっしゃらないでしょう。
夕方に神社の境内で、子供たちが楽しげに遊んだり、近所にお住まいの方々が談笑している光景などはよく見かけますが、そのようなときは遊びや、会話に夢中になっていますので、波長が合って魔物の姿を垣間見るということはほとんどありません。
夕方に1人で参拝をする、尚且つ、頻繁に参拝に訪れるという方は、魔物との遭遇率が高くなります。
逢魔時に参拝をすると、自分のコンディション次第(特に感覚が鋭敏で、不思議な体験などが多い方などは、より注意が必要です)では、境内を動き回る魔物がその目で見えてしまったり、写真に映ってしまったりします。
もし、見えたり、撮影してしまったりすると、魔物との波長が合ったということになりますので、何らかの災禍を被ることになってしまいます。
キリスト教でいう「悪魔」も含めて魔物の類は、自分の「姿」を見られたり、「名前」を知られるのを極端に嫌い、それらが露呈した場合は祟ることがあります。
魔物は大抵、黒い影として現れる場合が多いのが特徴です。境内で黒い影が横切ったのを見たあとに目眩や、頭痛、吐き気などをおぼえます。もし、その姿を見ていなくても、参拝時にこうした症状が現れた場合は、魔物がそばにいる可能性があるので、速やかにその場を離れます。
昨今は、神社で起こる目眩、頭痛、吐き気などを「磁場酔い」と称し、神社の正気を感じ取っている証拠だとして、プラスの意味で解釈する傾向にありますが、全く相反する意味である場合が多いので注意が必要です。
もし、参拝時にこのような症状が出た場合は、以下の「禁厭」などを唱えてみて下さい。
参拝は、少なくとも社務所が閉まる17時頃までには終えるようにした方が良いでしょう。季節によっては、17時ともなると薄暗くなって来ますので、陽が低くなって来たら神社を後にした方が良いかもしれません。
逢魔時の起源

黄昏時の京都・八坂通。まさに異界への扉が開かれたかのよう。
逢魔時は、「大禍時」とも書き、読んで字の如く、魔に遭遇する、大きな禍事(災禍)が起こるとされる時刻の意味で、陽が完全に沈みかける黄昏時の17時前後から、完全に陽が沈んだ20時前後までを指します。
黄昏(たそがれ)の語源は、『万葉集』の中の「誰そ、彼(誰ですか、あなたは)」にあります。
『万葉集』第十巻二二四〇番
『万葉集』が成立した奈良時代末期、ひとたび夜ともなれば漆黒の闇が広がったことでしょう。陽が沈み始め、薄暗くなってくる様子はまるで、この世の扉が閉じて、あの世の扉が開くような、不安を感じていたのかもしれません。
薄暗さの中で、ハッと気づけば隣に、異界からやって来た人影が立っているかもしれない、と恐れたのです。そう、逢魔時は現界と異界の境界なのです。
江戸時代中期の浮世絵師・鳥山石燕(1712-1788)は、『画図百鬼夜行』に代表される妖怪絵をたくさん描いた人ですが、その続編となる『今昔画図続百鬼』には、「逢魔時」と題された作品があります。
魔物が闇とともに、迫り来る様子が描かれています。
そこに付された文章には、「黄昏時には、百魅(たくさんの魑魅魍魎のこと。魑魅とは悪霊を指す)が生じるので、子どもを外に出してはならない」と書かれています。
世俗小児を外にいだす事を禁む
一説に王奔時とかけり
これは王奔前漢の代をうばひしかど
程なく後漢の代となりし故
昼夜のさきひを両漢の間に比してかくいふならん
『今昔画図続百鬼(1779年)』鳥山石燕
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。