2022.12.28
【卯年・2023年版】神様とのご縁を深める初詣、神社参拝の方法・完全版(前編)〜「御祭神を知る」〜「参拝」まで

2022年は、なかなか収束を見せないコロナ禍とともに、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、元首相の暗殺といった暗澹たる気分にさせられるニュースが続いた1年でした。
先行きの不透明感や、拭いきれない不安感の中で年を越し、新年を迎える方も多いことでしょう。
新年を迎えるにあたって、神社仏閣で心新たに誓いを立て、日頃の感謝をお伝えしたいという皆さんに、地域の氏神様、産土様とのご縁を深めるための参拝に関する予備知識、所作等を毎年まとめて、お届けしております。
これを参考にされることで、皆様のお住まいの地域の氏神様、産土様との絆とご縁はさらに深まることでしょう。
2022年を無事に過ごせたことのお礼と、2023年の健康と幸せを祈りに、神様に会いに行かれてはいかがでしょうか。
各地の神社仏閣では引き続き、感染対策を講じた分散参拝が推奨されていますので、初詣は元旦、三ヶ日にこだわらず、2月3日の節分頃までに済ませるような心構えで良いでしょう。
個人的なお勧めの参拝日は「大晦日」です。
混雑を避け、作法をしっかりと守ることが出来ます。
参拝する神社の御祭神を知る
参拝前日から、お伺いする神社への思いを深め、心構えをし、身支度を整えます。
まずは参拝する神社のご祭神のお名前(神名)を知り、覚えておきましょう。
お寺に参拝される方は、そのお寺のご本尊がどんな仏様(仏名やご利益)であるかも事前に調べておきます。
また、そのご本尊にはそれぞれ、ご真言がありますので、覚えておいて参拝時に唱えると、よりご加護を受けやすいでしょう。
お名前を覚えたら、ご神前でご祭神に呼びかけてみましょう。この方法はまた後ほど「参拝」の章で詳しくご紹介します。
初詣に参拝する神社は、遠く足を伸ばした有名神社よりも、氏神様や産土様などへの参拝をお勧めしています。とくに崇敬神社がある場合は、そちらの神社へご参拝下さい。
潔斎する
お正月は、ご家族や親戚縁者、友人知人が集まって、賑やかに食卓を囲むというご家庭は多いでしょう。
ただ、現在はコロナ禍ということもあり、帰省を控える方が多くいらっしゃると思いますので、実家で大人数で団欒という場面はほとんどないかもしれません。
それでも、ご家族でお酒を飲んだり、お肉を食べたりという機会も当然ありますね。
飲み過ぎ(泥酔はもってのほか)、食べ過ぎでの神社参拝は好ましい行為ではありません。
神社へ参拝し、より神様との距離を縮め、真摯に願いを聞き届けていただきたいと思うときは、その前日からお酒や肉類を断ち、「五葷(ごくん)」といわれるような匂いの強い野菜類を食べることを控えることが大事です。
*文献などにより内容が異なる場合があります。
肉食に関しては、神社の神使がこれを嫌う場合があります。
神使とは文字通り神様の使者であり、眷属です。
本殿に祀られるご祭神は、崇敬者や参拝者のために自ら直接行動することはありません。
人々の思いを汲み取ったご祭神の神意に従って、神使が現世に直接の影響を与えます。つまり神使とは、神意の代行者であり、神の領域と世俗とを縦横無尽に往復する存在なのです。
神使といえば一番有名なのは稲荷神社の狐ですね。
京都の伏見稲荷大社を筆頭に、全国の稲荷社の神使は狐となります。
2023年は卯年ですが、兎が神使なのは埼玉県さいたま市の「調神社」や、京都市左京区の「岡崎神社」、大阪市住吉区の「住吉大社」などです。
神使はほかにも、猿(日吉大社、日枝神社など)、鹿(春日大社、厳島神社など)、鶏(伊勢神宮、石上神宮など)、猪(護王神社など)、鳩(八幡宮)があります。詳しくは、是非『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』をご覧ください。
この神使は、世俗に直接の影響を与える存在であるため、非常に厳格で荒々しい性質を持っていることがあります。まるで人間のように感情豊かな存在です。
ですので、参拝者がその神社の神域をまたぐ際の心積もりなどを厳しくチェックしている場合もあるのです。
厳しい神使は、自身に関わる動物の肉を食べることを嫌うことがあります。私の場合は、元々四つ足の動物(牛や豚)の肉を食べません。
とくに稲荷社へ参拝する場合は、参拝前日から(四つ足の動物の)肉食を控えたり、食べる量を抑えたりするなどの配慮をすることも考えてみる必要があるでしょう。
実は、前日や参拝直前にお肉をたくさん食べたであろう人に、神使の狐が威嚇することがあるのだそうです。
神使である動物で日常、私たちの食卓に上るのは牛と鶏くらいですし、過剰に気にする必要はありませんが、そうしたことへの配慮を怠らないようにすれば、より歓迎されやすい、ご縁を結びやすいという傾向があるのは確かなのです。
参拝に訪れる前日は、ゆっくりと湯船に浸かり身を清めて下さい。粗塩やお酒を入れたお風呂に入るのも良いでしょう。
服装ですが、清潔な身なりを心掛ければ正装(スーツなど)でなくても構いません。
黒い服は良くない、白い服を着るべきだとの説もありますが、肌が露出するようなものでない限り、どんな服装でも結構です。黒い服を着る場合は、インナーを白や赤などにしても良いかもしれません。
鳥居之祓を奏上する
神様と相対し、対話をさせていただくためには、まず参拝に来させていただいたことを神様に認識していただく必要があります。
日々、たくさんの方々が神社へ参拝なさっていると思いますが、基本的に神様は作法を重んじ、礼を尽くし、いつも「畏れ多い」という謙遜の気持ちを持っている者にしか視線を向けては下さいません。
これは相対し、対話する以前の問題です。
こうした姿勢を欠いたまま、どんなに通い詰めて願をかけられても、それは叶えられることはありませんし、参拝に来させていただいたことすら認識していただけません。
「鳥居之祓(とりいのはらえ)」という祝詞があることをご存知でしょうか。
鳥居の前で一礼をして、奏上する祝詞です。
参拝が終わって境内を出るときも、本殿に向き直ってこの鳥居之祓を奏上します。
この鳥居之祓をしっかりと奏上いただければ、神様は「礼を尽くす者が来たり」と、こちらの存在を認識していただけるはずです。
非常に短い祝詞ですので、是非覚えてみてください。自信がない場合は、メモをして読み上げるか、このページをスマホで開いて読んでくださっても構いません。
神の在座 鳥居に伊禮ば 此身より 日月の宮と 安らげくす
かみのます とりいにいれば このみより ひつきのみやと やすらげくす
今の現に 不思慮も
大神の御門辺 欲過と為て
慎み 敬ひ 拝み奉る
此状を 平けく 安らけく
聞食と 恐み恐み 白す
いまのうつつに ゆくりなくも
おおかみのみとべを すぎなんとして
つつしみ うやまい おろがみたてまつる
このさまを たいらけく やすらけく
きこしめせと かしこみかしこみ もうす
拝(はい):角度は90度で、一呼吸分の間、低頭します。主に拝礼時に行います。
深い平伏(へいふく):正座時の作法(座礼)。角度は60度。祝詞の奏上時に行います。
浅い平伏(へいふく):正座時の作法(座礼)。角度は45度。お祓い時に行います。
深い磐折(けいせつ):立っている時の作法(立礼)。角度は60度。祝詞奏上時。
浅い磐折(けいせつ):立っている時の作法(立例)。角度は45度。お祓い時。
深揖(しんゆう):角度は45度で、半呼吸分の間、低頭。主に拝礼前後に行います。
小揖(しょうゆう):角度は15度で、半呼吸分の間、低頭。動作の前後に行います。
参道を歩く
参道は、神様の前に立つためのプロローグです。
心穏やかに、そして恭しく、ご神前に近づくという以外に、これといった決まりはありません。
今や一部の神職の方の間でも、正中は神様の通り道であるので、参道の真ん中は歩かずに左側を通行するようにとの話が通説になっているようです。
しかし、正中を神様がお通りになられることは決してありません。
正中をお通りになられるのは天皇の使いである勅使や宮司といった神職の方々です。
本当に神様がお通りになるのであれば、そこは人が通れないような配慮が構造上なされるはずです。
例えば天皇や、その使いである勅使が通る門や橋などは、通常は一般の人は通行できないように締め切られているのが普通です(厳島神社の反橋(勅使橋)や、宇佐神宮の南中楼門(勅使門)など)。

入口が固く閉ざされた厳島神社の反橋
宇佐神宮の奥宮、大許山の大元神社、奈良の大神神社、鞍馬山の魔王殿などは、拝殿の奥には人は決して立ち入ることは出来ません。
神様が通行される正中に、人が通行できないような配慮のもと柵などが設けられていないのは、神様の通り道ではないからです。

鞍馬山・奥之院「魔王殿」。拝殿の奥は禁足地となっている。
神様は降臨(上下移動)するものであり、ある場所からある場所へ水平移動はされないのです(ただし神使や眷属は、正中に限らず縦横無尽に移動します)。
「正中は神様の通り道説」というのは、主祭神である神様が、祭り事以外で神社を離れることがあるという前提となっている、この荒唐無稽さに気づく必要があります。
神様は、神社に「鎮座(鎮まっている)している」のであり、移動することはありません。
ですから、参拝時に正中を一般の方が歩かれても、全く問題はありません。
神職の方が正中(この場合の「正中」とは、参道ではなく、あくまでも御社殿の中の「正中」を指す)で守らなければならない作法を「進左退右、起右座左(しんさたいう、きゆうざさ)」といいます。
正中では「進む時は左足から、退く時は右足から。立ち上がる時は右足から、座る時は左足から」が基本中の基本です。
正中以外では「進下退上、起下座上(しんげたいじょう、きげざじょう)」が基本となります。
ご神前に近い方を「上位」、遠い方を「下位」とします。
例えば、正中の右側に立っているとすると、ご神前に近い方の足は左側、遠い方の足は右側となりますので、進む時は下位の足、つまり右足からとなり、退く時は上位の足である左足からとなります。
これと同じで立ち上がる時は下位の足である右側、座る時は上位の足の左足からとなります。
ご神前の左側に立てば、これが逆となります。複雑な作法のように見受けられますが、基本的な姿勢は、常に神様に遠くから距離をとって恭しく、尊崇の念を持って近づくということに尽きます。
正中を参拝者が歩いても全く問題はありませんが、この正中以外での作法である「進下退上、起下座上」を意識して、拝殿へ進むことを心がけてみましょう。
参拝者は神職ではありませんので、左右の足の運びまで気を使う必要はありません。
神社の社殿と参道の配置を注意深く観察してみると、元々参道は「進下退上、起下座上」に則って通されていることに気付きます。
ご神前から伸びる正中線と、一の鳥居(神社の入り口)から伸びる正中線は、微妙にずれているのが一般的なのです。
上の画像は京都の山國神社ですが、明確なかたちで本殿の正中線と、参道の正中線がずれています。
右側には手水舎がありますので、この配置の場合は右側を歩けば正中を横切らずして、最も遠い距離を取って、ご祭神が祀られている本殿へ近付けるのです。
ここまで誰の目にも明らかなかたちでなくとも、そもそも参道の正中は神座の真正面に向き合うようにはなっておらず、微妙にずらされているのです。拝殿が正面に位置していても、本殿が参道の正中からずれて配置されています。
ですから万が一、正中を歩くことがあっても、ご本殿に祀られている神様の真正面となることはありません。
「正中は神様の通り道」という説は、十数年前のスピリチュアル・ブームの中で突然発生したものです(あるスピリチュアリストの発言による)。気にされずに、好きなところをお通りになられて構いません。
「進下退上、起下座上」を意識する余裕があれば、参拝する神社の手水舎のある側を歩けば、正中を横切ることはありませんので、神様の失礼になることはありません。
もし、正中を横切る必要がある場合は、必ず一揖(軽い会釈)をしましょう。
また、参道を歩くときに「三種太祓(みくさのおおはらひ)」の一部である「天津祓(あまつはらひ)」を唱えると、より清浄な状態で神様の御前に立つことができます。
参道を歩く間、繰り返し唱えます。
吐普加美依身多女(とほかみえみため)
天とつながり、全ての罪穢れを祓う最上の唱え言です。
開運効果の高い詞ですので、日常でも是非唱えてみましょう。
参道の途中に、接末社が鎮座しているケースもあるかと思います。接末社への参拝は、本社への参拝後で構いませんが、本社に祀られている主祭神と関係性の深い神様でありますから、畏れ多くもその御前を通らせていただきますというお気持ちをもって一礼(小揖)を行います。
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。