2019.6.28
神様は私たちに紛れている!か弱き存在に気付く「愛ある生き方」への目覚めが幸せを連れてくる

私は幼い頃から、人知れず頑なに信じていることがありました。
「神様は天国にいるのではなくて、人間に紛れて、僕らを常に試しているんだ」と。
子供時代というのは、空にふんわりと綿飴のように浮かんだ雲の上に天国があって、そこに白い衣に身をまとった白髪に白髭姿の神様がいて、その傍らには美しい女神様がいる。
そして背中に羽の生えた天使達が大空を優雅に舞っていると考えるものだと思うのですが、私はちょっと変わった子でそれが信じられなかったんですね。
たとえ、神様が雲の上に住んでいたとしても、きっと下界が気になって度々下りてくるに違いない。下界で白い衣を着ていると目立ってしまうから、普段は僕らと同じような格好をしてしているはずだと思っていました。
そうだとしたら神様はどんな姿に変装するのでしょうか。
私は想像しました。きっと、神様は人の視界の片隅に存在するような目立たない、か弱き者に姿を変えるのではないかと。
幼い私の脳裏に浮かんだのは「ホームレス」でした。
最初に断っておきますと、私はこの「ホームレス」というネーミングを好ましく思っていません。何かが"ない"、という意味の「レス」がつく言葉は世の中に溢れています。
「コードレス」「ワイヤレス」「シュガーレス」...ほとんどのものが、これまで当たり前にあったものが、なくなって便利だとか、都合が良いという意味で使われています。
こうした言葉の使われ方でいえば、まるでホームレスの状態にある人が、あたかも自分自身でそうなることを望んだように聞こえてしまう表現であり、社会や行政側が押し付けた差別的な表現でもあると感じているからです。
言葉だけをスマートなものに変えてみても、その本質は変わりません。ただ、この記事中においては便宜的に「ホームレス」という言葉を使わせていただこうと思います。
私たち一人一人に神性が宿っている
九州の玄関口、博多駅。今でこそ駅ビルは三越などの大型商業施設が入居し大変賑わっていますが、私が幼い頃は駅構内に多くのホームレスの方々が冷たい床にダンボールを敷いて力なくたたずみ、横たわっているような環境でした。
今は亡き母は時折、時間があると私の手を引き博多駅(博多駅からほど近い場所に住んでいました)に出向いて、大量のパンをホームレスの方々に配っていたのです。
母は「はい、これをあの方にあげて」と言いパンを手渡します。そのパンを受け取って「ありがとう」と言いながら頭を深々と下げるおじさんや、涙を流したり、手を合わせて拝む女性を見て、幼心に母は立派なことをしているんだと思ったものです。
当時は昭和40年代から50年代初頭。今のように支援団体もほとんどない時代でしょうから、ホームレスの方々への風当たりや、偏見、誤解は非常に強かったはずです(今も誤解や偏見は根強く残っています)。
母がどんな思いに駆られて、あのような行動をとっていたのかは今となっては分かりません。幼い私が母に言われる通りにパンを手渡した時、私の手を握って涙ぐむ女性の姿は未だに脳裏に焼き付いて離れません。
世の中には、社会に見捨てられた、置き去りにされた不遇な人達がいるのだ、どんなに貧しくても雨露を凌げる暮らしが出来ることは何と尊く奇跡のようなもので、幸せなことなのだろうという思いが幼い私の心にじんわりと響いて来たのです。
そんな母とホームレスの方々との交流を見ていて、幼い私がふと考え巡らせたことこそが「この人達は、もしかしたら神様なのではないか」という思いです。
神様は、雲の上から私達一人一人の行いを見ているだけではない。私たちと同じ地平に立って、私たちに直接的に関わり、アプローチをして、私たちの人間性や心のあり方を試しているはずだと、そう考えたのです。
ですから、あの時に母が交流をしたホームレスの方々の中にも、きっと神様はいらっしゃったはずなのだろうと思います。
母は結婚後に大変苦労をし、統合失調症となったことで、結果的に私とは生き別れとなってしまいますが、今もあちらの世界で人を救ったり、癒したり、愛を送る存在となっているはずです。
神様は当時、あのホームレスの方々の中に紛れて、母を見出し、その行く末を一生に渡って見守り、そして人生を全うし終えた時に、自分の傍らに置いて、新しい役割を与えてくれたのだと理解しています。
実は、私が幼い頃から考えていた、このような発想は「今」を正しく生きる上で非常に大事な視点なのではないかと最近になって痛感するようになって来ました。
いえ、「視点」どころか、私はそれこそが「真実」なのであろうと思って日々を生きています。
神様は神社の本殿の中に鎮座しておられるだけの存在ではありません。神様は常に私達の側におられます。
私達が日々の何気ない暮らしの中でふと見せる利他的な愛や、優しさ、施しの中にこそ、神は宿り、その姿を見せます。ある意味、私達一人一人が神性を帯びた存在でもあるということです。
足下の小さな存在に気付くということ
部屋の中に一匹の蜘蛛が現れたとします。蜘蛛を眼の前にして「怖い!」「嫌だ!」という思いに囚われ、絡め取られると、その感情は増幅し、抑えきれないものとなります。
しかし、じっとその蜘蛛を見つめていると、どこか健気で愛おしささえ感じてしまうのです。そして、それがもしかすると「神様かもしれない」そう思う心の余白があると、その一匹の弱々しい存在が私に放ってくる強烈なメッセージを感じるのです。
もし、その一匹の蜘蛛が本当に神様だったとしたら、神様の化身だったとしたら、その蜘蛛を救った時、殺さなかった時、その存在が私に語りかけてくるのは、どんな言葉なのでしょうか。その答え合わせは、この生を全うし終えた時かもしれません。
蜘蛛に変化していた神様が、そう私に語りかけることを想像ができる心の余白を持っている、ということこそ人生にとって必要なことだと思うのです。
自分の足下の小さな、か弱き存在に気付く目線こそが神様と繋がる1つの手段なのかもしれません。
「知らない男」は神様?
「モリのいる場所」という映画をご覧になったでしょうか。
亡くなった樹木希林さんのファンでしたので、そのお姿を一目見たくて映画館に足を運んだんですね。また画家の熊谷守一さんを描いた作品ということで、その点にも非常に興味がありました。
劇中にこんなシーンがあります。
山崎努さん演じるモリこと熊谷守一は、全く欲のない人で、自宅の庭を愛し、30年間外出もせずにひたすら庭の木々や昆虫の観察に明け暮れるという仙人のような暮らしをしているんです。
日本を代表する著名な画家ですから、自宅には様々な人々がモリに絵や書を描いてもらいたくて集まり、いつも何だかんだ賑やかです。
ある日、大勢で食事をしていると突然、電話が鳴ります。モリの奥さんである樹木希林さん演じる秀子さんが電話を取ると、それは文化勲章・受賞の内示だったのです。
普通の感覚なら、飛び上がって喜ぶはずですが、モリは「いらない」の一言。無欲、これ極まれり、です。秀子さんは電話口の担当者に「いらないと申しております」と返事をします。
モリの心の在り方、無欲さが非常によく表現された場面です。
この無欲で、命あるものすべてを愛する純粋無垢なモリだからこそ、経験し得るシーンがあります。
このシーンこそが私が、ここでお伝えをしたかったことに通じるお話なのです。
雲水館という旅館の主人が、旅館の名前を看板に書いて欲しいとモリのもとを訪れます。有名な画家の直筆の看板ともなれば、宿泊する観光客が増えるだろうという算段です。
この日も、庭の観察に忙しく、秀子さんが代わりに体良く断っていたのですが、主人が「信州からはるばる来た」ことを伝えると「それならば」と看板を書くことを了承するんですね。
モリは新幹線の存在をこの時知らず、わざわざ何日もかけて信州から会いに来てくれたと感動して、承諾したのです。
看板に書をしたためるシーンに三上博史演じる「知らない男」がいます。
「知らない男」はモリに向かって「こんな見ず知らずの男に書を書いてやるなんて」と詰め寄ります。
しかし、この「知らない男」が一体どこの誰か、何故モリの自宅に上がり込んでいるのか、実はそこにいる誰もが(本当に)知らなかったんです。
映画が終盤になると再度、この「知らない男」が登場します。
ある夜、その日も大勢の人達が集まってモリを囲んで宴を催しています。すると突然、庭の奥に奇妙な怪光が降り立ちます。
その光の中からあの「知らない男」が現れて、モリを「もっと広い世界へ行こう」と誘うのです。
異星人とか、死神とか、そんな解釈も成り立ちますが、私は神様だったのだろうと解釈しました。モリの日頃の行いや、人間性を「知らない男」として間近で知り得ていた神様は、その積み重ねて来た善行から、モリをあの世へと導こうと考えたのでしょう。
しかし、モリはその誘いを丁重に断ります。
実は、こういうことは本当にあることだと思います。
人生の中で「一体、この人は何だったのだろう」と疑問に思うような人というのは、必ず1人か、2人はいるものです。不意に人生の物語の中に登場して来て、不意にいなくなる。そんな人です。
強烈な存在感があるのだけれども、顔も名前も一切忘れてしまっているような人。
私は、そういう人こそ、神様だと思うんです。
ですから、神様に出会ったことのない人など1人もいないのですね。
神様はあなたの隣にいる!
テレビや雑誌で話題になっているパワースポットと呼ばれる神社に、遠方から遥々おもむいて丁寧に参拝をして来たのに、ちっとも願い事が叶わないし、良いこともない。あそこの神社には神様なんていないんだね。
そんなことを言われている方をたまに見掛けたりしますが、それはその人が自分の人生の中に登場する人物の一人一人に深い縁を感じて、丁寧に接していない証拠だとも言えるのです。
誰の目にも明らかな神々しく厳かな神社の本殿や、マスコミで話題のパワースポット、スピリチュアル的なキラキラした価値観にばかりに注目し、弱い立場にある人達への温かい眼差しに欠けている人は多いものです。ポピュリズムの中に神性は宿りにくいものです。
自分の人生の歩みの中には、私達を時には試そうとし、時には見守ろうとする神の存在が常にあると思って生きると、一気に人生は輝きを放ちます。
儚き、弱き、ささやかな存在にこそ、神性は宿り、私達に示唆と気付きを与えていると信じて生きてみましょう。
貴方の足元を這う一匹の虫が神様かもしれない。
散歩する小径の脇に目立たないけれど凛と咲く一輪の花が神様かもしれない。
貴方が価値を置いていない存在の中にも神様がいるかもしれない。
全てに愛を持って生きてみませんか?
ホームレスという存在に想いを馳せた幼少期。
そして中学3年生の夏に突然、本当に自分がホームレスになってしまうという人生の不思議。
これは私に必要な要素を無駄なく与えてくださったということなのでしょう。
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。