2019.7.3
塩で本当に霊が祓える? 〜浄化ツールとしての塩の起源と、神仏の永遠性〜

「塩」は昔から穢れを祓い清めるツールとして使われて来ました。
「場」や「人」を清めるために、時には「霊」や「邪気」を祓うためにも使われます。
盛り塩をしたり、振り撒いたり、半紙などに包んで身に付けたりします。しかし、塩が本当に場や人を清め、霊や邪気を祓う効果を有しているのか、それを実証することは困難です。
私は仕事柄、霊的なご相談も取り扱うことがあります。ご依頼を受けて現地に赴き、禍々しい雰囲気の漂う土地や建物に足を踏み入れる。しかし私はこんな時に、塩を携帯することはありません。経験値として塩が一切の用をなさないことを知っているのです。
端的に言えば霊に対して塩は全く効果を発揮しません。
効き目がないどころか霊に対する目的で、塩を携帯したり、撒いたり、盛り塩にして置いておくということ自体、霊はそうした行為を「敵対的」若しくは「自らの存在を阻害されている」「排除しようとしている」と感じてしまい、かえって障りが起きたりすることがあります。
そもそも見えない存在、霊的な存在であるのにも関わらず塩という物質が霊にとって恐れるべき対象であると考えることに不自然さがあります。
ヴァンパイアと対峙する際に、ニンニクや十字架、日光が効力を発揮するということは、小説や映画などの創作物でも有名な話です。これは吸血鬼のモデルとなった人々の異常行動の数々が、狂犬病の病態や特徴と似ていたことが背景に挙げられます。
狂犬病にかかると夜間の徘徊や顕著な攻撃性を示すようになり、知覚が過敏になります。知覚が過敏になるということはニンニクの匂いが人の何倍も鼻につくようになりますし、普通の人には心地良い陽射しも、目を鋭くえぐるような刺激を感じます。
そうした狂犬病特有の状態が創作物に反映されたものであり、ニンニクや十字架はストーリーテリング上の後付けのスパイスのような役割だったことがわかります。
これに倣って考えると、塩が万能な清めのツールであるとされるに至った歴史的な背景にも迫ってみる必要がありそうです。
浄化ツール「塩」の起源
盛り塩の由来
まず「盛り塩」のルーツですが、これは中国の故事に由来があるといわれています。
かつて秦の始皇帝は、大勢の女性を囲っており、一夜を共に過ごす女性を自分で選びきれないので、牛車に乗り込み、歩く牛が止まった門の家に宿泊し、そこに住む女性と一夜を過ごしたといいます。
皇帝が囲っていた女性は三千人ともいわれます。その中には賢い女性もいたようで、皇帝の乗った牛が自分の家の前で足を止めるように、門前に牛の好物である塩を盛っておいたのだそうです。案の定、牛は女性の家の前で止まり塩を舐め続けたそうです。この女性はそれ以来、塩を自宅の門の前に置き続け、皇帝の寵愛を受けることが出来たのです。
*上記の説は秦の始皇帝が武帝に、牛車が羊車に、塩が塩水に変わる説もあります。
このことからも分かる通り、本来「盛り塩」というものは、客人を呼び込む、財運を呼び込む意味があるのであって(つまり"呼び寄せる"、"引き込む"意味合いがある)、そもそも何かを清めたり、祓ったりという意味はなかったのです。
ご商売をされていらっしゃる方が、お店の軒先に盛り塩を置くのは、こうした起源が元になっています。
浄化作用の由来

このように大祓詞には、瀬織津姫(せおりつひめ)が人々の罪穢れを川から大海原へ持ち出し、速開津姫(はやあきつひめ)がそれを勢いよく飲み込む、飲み込まれた罪穢れは気吹戸主(いぶきどぬし)によって根の国・底の国に向けて息を吹いて放たれ、速佐須良比咩(はやさすらひめ)が放たれた罪穢れを持ちさすらうことで、ついには消え去ってしまうと記されています。
この大祓詞でいう「大海原」または「潮流」というものが「海がもたらす自然の力が還元されたもの」という解釈によって、次第に「塩」に置き換わり、今日の様な「塩」=「浄化」という意味合いが含まれていったのではないかと思われます。
また、日本には古くから神仏に祈願をする際に、冷水を浴びたり、浸かったりする風習があり、これを「垢離(こり)」といいます。
密教や修験道で行われる滝行などもその1つです。潮(浜)垢離では御神体を乗せた神輿(みこし)を海水で洗い清めたり、神事に参加する氏子たちが海に入って禊を行います。
この垢離の起源は神話にあります。
以前、ご紹介した天津祝詞に「筑紫日向の橘の小門之阿波岐原に 禊祓ひ給ふ 時に生坐る祓戸之大神等」とあります。「イザナギが筑紫日向の橘の小門の阿波岐原という場所で、罪穢れを祓うための禊の祓という儀式(水浴)を行ったところ、たくさんの神々(神直毘神、大直毘神、伊豆能売神など)が生まれました。
古事記や日本書紀にも同様の記述があり、イザナギが左目を洗った時に生まれたのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右目を洗った時に生まれたのが月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗って生まれたのが建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)であると書かれています。
禊の祓によって「三貴子(みはしらのうづのみこ)」が誕生したのです。イザナギは天照大御神に高天原を、月読命に夜の食(お)す国を、須佐之男命に海原の統治を命じます。
こうしたことからも、塩が「清め」や「祓い」の力を持つとされたのには、神道の「大祓詞」に直接の起源があり、海水や清流の水が罪や穢れを祓うといった概念は、古事記や日本書紀に由来した考え方であることがわかります。
ユダヤ教の伝統的なパン
塩が清めの意味を持つのは日本独自の文化、風習なのでしょうか。
実は「ユダヤ教」に同様の風習があります。
ユダヤ教では"ハラー"と呼ばれる編み込んだ形のパンを安息日に食べます。このハラーを食べる前に祈祷を行なう人物がハラーを祝福し、聖別する儀式を行ないます。この時にハラーに塩を振り掛けるのです。勿論、味付けのためではなく清めるためです。
ユダヤ人の文化では、伝統的に「食卓」は神殿の祭壇と変わらないほど、聖なる場とされています。ハラーを清める行為は、すなわち食卓を清める行為に等しいのです。
ユダヤ教の教訓や教義を収めた聖典「タムルード」には「供え物には塩を欠かしてはならない」とあります。また旧約聖書「レビ記2章13節」にも「捧げものには神の契約の塩を欠かしてはならない、いつも塩を添えなければならない」と記されており、塩には"神との契約"という意味合いもあったことがうかがえます。
ユダヤ教において、これほど塩が重要視されたのは、塩の持つ腐敗防止の性質があったからではないかと考えられます。現代でも塩は食材の保存に役立てられています。食品を塩漬けにすると、その浸透圧によって腐敗菌からの水分を脱水し、微生物の増殖を抑える効果があるためです。
古来からこうした塩の持つ力は知られており、この防腐性、保存性といった効果が「神の再生」「永遠性」を象徴する「聖物」という扱われ方をされるようになった所以ではないでしょうか。
一説では、このユダヤ教の風習が古来日本に渡来した氏族によって伝えられ、日本の宗教概念の成立(特に神道)に大きな影響を与えたとされます。つまりユダヤからの民が日本に渡来した折に、独自の風習、習俗(「塩=浄化ツール」を含めた宗教・文化)を輸入したのだということです。このユダヤ教と日本の宗教、文化の関係は非常に興味深いお話がたくさんありますので、また別な機会に紙幅を割いて取り上げたいと思います。
塩がどのようにして今日のように祓、浄化の意味を持つようになったのかを見てまいりました。冒頭にも申し上げましたが、私自身は経験値として塩を恐れる霊はいないことを知っています。
では塩というものは全く霊を祓う為には効果を発揮しないのかといえば、そうではありません。
神棚などの神聖な場所に神饌(お供え)として供えられた後の粗塩であれば、一定の効果が期待出来ます。もし祓や浄化の意味合いで塩を持ち歩くということがある場合は、スーパーなどで購入したものをすぐに所持するのではなく、一旦神仏に捧げ、その捧げた塩を半紙など清浄な紙に包んで所持する方が良いでしょう。
塩に霊が畏怖する存在が介在しているのか、否かが重要になって来るのです。
塩を携帯さえしていれば霊に憑かれない、塩を盛っておけばその場所が清められると、塩をあたかも万能なスピリチュアル・ツールであるかのごとく捉えることには危険な側面もあります。そのことを是非、知っていただけたらと思います。
塩という選択肢以外に、場の邪気を祓い、浄化をするという時に、どういった効果的な方法があるのか、また次の機会にじっくり書かせていただこうと思っていますので、どうぞお楽しみに。
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。