木嶋坐天照御魂神社〜三柱鳥居をめぐる異端の歴史ロマンが渦巻く社〜

2019.10.2

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

秦氏と木嶋神社

今年1月、フジテレビで放送された「世界の何だコレ!?ミステリー」で岐阜県郡上市の山奥にある、三本の柱からなる鳥居「三柱鳥居」が取り上げられました。

この番組を観て「三柱鳥居」を初めて知ったという方もいらっしゃるでしょう。

この「三柱鳥居」は全国に数カ所ありますが、最も有名なのは京都は太秦にある『木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)』ではないでしょうか。嵐電(嵐山本線)の蚕ノ社(かいこのやしろ)という駅名でも、ご存知の方は多いかもしれません。

「木嶋坐天照御魂神社」は「このしまにますあまてるみたまじんじゃ」と読みます(以下「木嶋神社(このしまじんじゃ)」と記します)。

「木嶋神社」が「蚕ノ社」とも呼ばれるのは、養蚕技術を日本に持ち込んだ秦氏と関係が深いためです。嵐電の蚕ノ社駅前の第一鳥居には「蚕養神社」と書かれた扁額がかかっています。


第一鳥居から山道を3分ほど歩けば「木嶋神社」です。
                     

秦氏は渡来系氏族であり、平安時代に編纂された「新撰姓氏録」によれば秦氏は秦の始皇帝の末裔で、応神14年(283年)に百済から帰化した弓月君(ゆづきのきみ)がその祖であるとされますが、弓月君は実在不明の人物であり、実際の出自は不明です。

異説として唱えられていて有名なのはユダヤ人渡来説です。つまり秦氏はユダヤ人であり、イスラエルから日本に渡来したとする説です。突飛な説のように思えるかもしれませんが、現在私たちが当たり前に用いている名称などに、それを窺わせる痕跡がいくつもあります。

木嶋神社」の所在地である「太秦」ですが、この「ウズマサ」はヘブライ語の「エイゼマサ」が訛ったものだという説があります。「エイゼ」は「何という」という意味で、「マサ」は「道のり」を意味し、続けると「何という道のりだ」という意味になります。

かつて、はるか遠くの異国から渡来した人々が、ようやく日本にたどり着いた時に口をついて出た言葉が、そのまま地名になったのかもしれません。

他にも「ウズマサ」はアラム語でイエス・キリストを意味する「イシュ・メシャ(「イシュ」は「キリスト」、「メシャ」は「メシア(救世主)」を示す。インドでは「ユズ・マサ」と発音)」が訛ったものだとする説もあります。

また、秦氏は中央アジアのバルハシ湖の南に位置する「弓月国(クンユエ)」という国の出身であるとする説もあり、この「弓月国」には「ヤマトゥ」という地名が存在し、これが後の「ヤマト」の語源になったとするものです。

三柱鳥居の謎

葛飾北斎 三才鳥居 北斎漫画第十一集

「木嶋神社」に話を戻しましょう。

ここには冒頭にお話をしたように「三柱鳥居」があります。この「三柱鳥居」はキリスト教の一派であるネトリウス派(景教)の遺物であり、三つの柱はキリスト教でいうところの「三位一体(父、子、聖霊)」を意味するという説があるのです。

秋の糺の森

下鴨神社の御手洗池

三柱鳥居は、境内の「元糺の池」にあります。「糺」は「正シクナス」「誤ヲナオス」という意味を持ち、禊の行場として使われています。平安時代にその機能は、下鴨神社(賀茂御祖神社)の敷地内にある鎮守の森に移されました。それ以来「糺の森」と呼ばれるようになります。下鴨神社の「糺の森」の原型は「木嶋神社」にあるわけです。下鴨神社の「御手洗池」と、木嶋神社の「元糺の池」はどちらとも、土用丑の日になると池に足を浸して無病息災を願う習わしがあります。

さて、鳥居といえば二本の柱からなる、俗界と神域を分ける結界です。表と裏、入口と出口があります。しかし、この「三柱鳥居」にはそれらがありません。入口から入ったとしても、それはまた別の入口です。三方の正面から見ると、必ず柱が中央にあることから、そもそもこの「三柱鳥居」は人がくぐり抜ける結界としての役目を担っているのではなく、この「三柱鳥居」そのものが信仰の対象だったのではないかという想定も成り立ちます。

中央に三柱鳥居が描かれている 木嶋社 1780年 都名所図会(文:秋里籬島、挿絵:竹原春朝斎)

都名所図会より

またこんな説もあります。「木嶋神社」の「三柱鳥居」の位置関係は、北を三角形の頂点とし、南側が東西を結んだ底辺になります。この三角形の中央から東南東に位置しているのは稲荷山(伏見稲荷大社)であり、西南西に位置しているのは松尾山(松尾大社)です。どちらも秦氏が奉斎する所縁の神社です。

「三柱鳥居」の位置から見ると、冬至の日には稲荷山から陽が昇り、松尾山に夕陽が沈みます。つまり「三柱鳥居」からは冬至の日に太陽の出る様子と消える様子が見て取れるわけです。稲荷山の反対には愛宕山があり、松尾山の反対には比叡山があります。

夏至の日には比叡山から昇った陽が、愛宕山に沈みます。よって、「木嶋坐天照御魂神社」の「天照」は「太陽信仰」を表すもので「三柱鳥居」は、太陽神の遥拝所の意味合いがあったのではないかというのです。

何れにしても「三柱鳥居」には、深い歴史的意義が隠されていることは間違いないようです。

他にもイスラエルの「エルサレム」はヘブライ語読みで「イールシャローム」これは日本語に直すと「平安京」になり、エルサレムにある湖「キネロット湖」の「キネロット」とは「琵琶」を意味するそう。

またイエス・キリストと聖徳太子が同一人物だとする説もあります(景教が聖徳太子の出生伝承に影響を与えたとする説も)。どちらも厩戸(馬小屋)で生まれています。

広隆寺の十善戒とモーセの十戒、神輿とアーク、「古事記」「日本書紀」と「タナフ」、ヘロデ門の菊の紋、清めの塩や狛犬など日本とイスラエルを結ぶ類似点は多く指摘されていますが、異論・反論も数多く真相は分かりません。

青森県三戸郡新郷村のキリストの墓(十来塚)

青森県の新郷村(旧戸来村)にはキリストの墓とされるものもあります。旧村名である「戸来」は「ヘブライ」に通じるともいわれますし、墓の管理を代々行って来た沢口家の家の戸袋には六芒星に酷似した紋章が掲げられています。また、戸来村では昔から子供が生まれると額に十字架を描く風習があったともいいます。

私たちが知っている歴史が完全に正しいとは限りません。歴史は常に時の権力者によって捻じ曲げられてきた経緯があります。学者や研究家、歴史家たちが日々、真実を探り当てようと奮闘されていらっしゃいますし、これまでもそうだったわけですが、常識とされている事物をゼロベースで新たに考え直してみるという視点は必要なことです。

普段、私たちが見ている神社のあれやこれやが、実はユダヤや古代のキリスト教に端を発していると考えると、それだけでワクワクしてしまう側面もあります。ただし私自身の現時点での知識では肯定も否定も出来ません。

「三柱鳥居」は実際に目にすると、異様で独特の雰囲気があります。雰囲気だけで「何かただならぬ意味があるに違いない」そう思ってしまうほどの迫力です。

「木嶋神社」の「三柱鳥居」前では、瞑想をする方、じっと時を忘れて見つめ続ける方、楽器演奏や舞を奉納する方などをお見掛けします。神社自体も木々に囲まれた非常に神秘的で独特な空間です。

是非、皆さんもこの空間を味わってみて下さい。

大酒神社

さて、もう一つ「木嶋神社」に関係する神社をご紹介します。

「木嶋坐天照御魂神社」から徒歩ですぐ、嵐電の太秦広隆寺駅のすぐそばに「大酒神社」という小さな神社があります。

ここ「大酒神社」は秦氏が最初に建てた神社だといわれます。

主祭神は「秦始皇帝」「弓月君」「秦酒公」です。

祀られている神様を見ましても、ここが秦氏に関係のある神社であることは一目瞭然です。

元々、こちらの神社の名称は「大辟神社」でした。読み方はどちらも「おおさけ」です。この「辟」は元々「闢」であり「大闢」は中国では「ダビデ」を意味します。ダビデはイスラエルの王であり、新約聖書ではイエス・キリストの父とされる存在です。

牛祭(都年中行事画帖 1928年)

この「大酒神社」の祭事に京の三大奇祭に数えられる「牛祭り」というのがあります。この祭りは京の三大奇祭(他に今宮神社の「玄武やすらい祭」、由岐神社の「鞍馬の火祭」がある)に数えられます。元は大酒神社の祭りとして執り行われていましたが、現在は広隆寺の祭りとして行われています。

都名所図会 牛祭り

摩多羅神と呼ばれる異形の神の面を被った者が牛に乗り、四天王と呼ばれる松明を持った赤鬼、青鬼を従えて太秦の町を練り歩きます。広隆寺に戻って来て薬師堂前にたどり着くと祭壇で祭文が読み上げられます。この祭りの不思議なところ、奇祭たる所以は、正体不明の摩多羅神という神の存在はもちろんですが、この摩多羅神に向かって周囲から罵声が浴びせられというところです。

摩多羅神は太秦に住まう人々にとって、罵声を浴びせて排除すべき神だったのでしょうか。祭文を読み上げ終わると、罵声から逃れるように摩多羅神と四天王は薬師堂に入って祭りは終わります。

摩多羅神役と赤鬼、青鬼役の5人は、祭りの前に「木嶋神社」の元糺の池で禊をします。大酒神社の祭りが、広隆寺の祭りとなり、禊は三柱鳥居のある「木嶋神社」の元糺の池で行われる、という不思議。秦氏を巡って、この太秦という地には大いなる歴史的ロマンが隠されているようです。

この祭り、異形の神である摩多羅神が主役のように見えますが、祭りの名は「牛祭り」。つまり「牛」がメインなのです。

「牛祭り」では四天王という鬼が摩多羅神に仕えていますが、「牛」と「四天王」といえば思い出されるのは大阪の四天王寺。四天王寺の鬼門の位置に鎮座するのが「牛王尊」。つまり牛頭天王です。四天王寺の西側の地は、かつて天王寺牛町という町名だったとか。

天保七年の瓦版

また、大阪をはじめとする関西の地では江戸時代より、現在まで、人の頭に牛の体、牛の頭に女性の体(着物を着た)という姿形を持つ「件(くだん)」という妖怪の目撃も相次いでいます。

このあたりとも、繋がりがあるのでしょうか。

興味は尽きません。

MAP

【参考文献】

「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」坂東誠(著)PHP
「寺社が語る 秦氏の正体」関裕二(著)祥伝社
「日本の神々 神社と聖地 5 山城 近江」大和岩雄(著)白水社
「失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎」 飛鳥昭雄・三神たける(著)学習研究社

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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うらなってMe

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