北野天満宮と狛犬の起源〜古代オリエントから日本へ渡った神獣〜

2019.10.31

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

一の鳥居 ©️2019 マーク・ケイ

今回の「神社仏閣ヒーリング」は『狛犬』にスポットを当ててみたいと思います。

ご紹介するのは京都にあります北野天満宮です。

「天神さん」「北野さん」として親しみを込めて呼ばれる北野天満宮は、福岡県の太宰府天満宮と並び、全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。

国宝 社殿

国宝に指定されている桧皮葺屋根の社殿、梅苑、星欠けの三光門を始めとする「天神さんの七不思議」など見所の多い北野天満宮ですが、注目して頂きたいのが狛犬です。

こちらの狛犬は京都府で最大の大きさ(1m95cm)を誇り、また狛犬の数(12対)も最も多いのです。

狛犬のルーツ 〜古代オリエントの時代〜

北野天満宮の狛犬をご紹介する前に少し、狛犬のルーツについてお話をしたいと思います。

狛犬の先祖にあたるのがスフィンクスだとする説があります。

確かに似ていますが、狛犬のように一対ではありませんし、スフィンクスの顔は人間です。

しかし、何やらどこかで繋がっているような気もします。

狛犬の起源を辿ると古代オリエントにまで遡ることが出来ます。

古代オリエント文明(紀元前4000年から紀元前400年頃)が隆盛を誇ったエジプト、アッシリア、ペルシア、バビロニアといった地域などには広範囲にライオンが生息していました。

ライオンの気品と風格を醸し出すタテガミ、威厳と高潔さに満ちた佇まい、そして逞しい体躯、それは古代オリエントを治めた国王達の象徴として相応しいものでもありました。

地上最強の動物であり、神獣とされるライオンの神秘なるパワーを自らの威光に宿らせようと、国王の座る玉座や神殿の壁にはライオンの顔や全身が彫られました。また外敵の侵入を許さない守護獣として城門に一対のライオン像が配置されるようにもなります(「ミケーネの獅子門」が有名)。

ミケーネの獅子門

ライオンの背に乗る豊穣の女神イシュタルや、戦闘の神であるセクメトマヘスのようなライオンの頭部を持つ神など、ライオンは「神」とイコールの存在として神聖視され、畏怖の対象でもありました。

イシュタルと見られる「バーニーの浮彫」:大英博物館所蔵

Head of Sekhmet ©️Andrew Kuchling (CC BY-SA 2.0)

Lion Gate, Hattusa, Turkey ©️Bernard Gagnon (CC BY-SA 3.0)

狛犬のルーツ 〜インドから中国・朝鮮半島へ〜

古代オリエントに於いて神聖視されたライオンが、どうやって日本に伝わって来たのでしょうか。

まずはインドを経由して中国に伝わったと考えられます。中国では古代から瑞獣(ずいじゅう)と呼ばれる架空の動物たちを多く創造して来ました。

例えば風水でいうところの四神相応では各方位を青龍朱雀白虎玄武といった霊獣が司っているとされます。この四神も「瑞獣」の範疇に入ります。

その他にも麒麟(きりん)鳳凰(ほうおう)鸞(らん)九尾の狐獬豸(かいち)などがあります。

獬豸(かいち)に至っては姿形がまさに狛犬そのものなので、これこそが起源だとする説もあります。

中国のカイチ ©️Spetsedisa (CC BY-SA 2.5)

古代の中国では法律の執行官が被った法冠に獬豸(かいち)があしらわれ、これを獬豸冠(かいちかん)といいました。獬豸(かいち)は正義や公正の象徴とされる一角の羊(または牛)で、人の善悪を理解して悪人をその角で突くと云われています。

この獬豸(かいち)は朝鮮半島に伝わると海駝(ヘテ・해태)と呼ばれる獅子となります。中国では一角でしたが朝鮮半島に渡った海駝(ヘテ・해태)像には角がありません。

海駝(ヘテ・해태)

現在の朝鮮半島で海駝(ヘテ・해태)は、魔除けとして建物の門前に配置されることが多く、このあたりは日本の狛犬に通じています。

狛犬のルーツ 〜中国・朝鮮半島から日本へ〜

古代バビロニアの国々からインドに伝わり、さらに中国、朝鮮半島と伝わった狛犬の原型は、遣唐使によって日本に渡って来たと考えられます。

日本人はその異形の四つ足の動物像を見た時に、日本犬とは明らかに違った外見なので高麗犬と呼びました。

「高麗」は「こま」と読み現在の朝鮮半島を指しますが、当時は遠い異国の地と同義語でした。つまり「高麗犬」とは「遠い異国の地からやって来た異形の犬」という意味だったのです(現在では神社本庁もこの説を取っていますが、異説もあります。「狛犬」の「狛」は中国では「神獣」の意味を持ち、「狛犬」という独自の神獣の存在があったというものです)。

こうして日本に伝来した狛犬は、独自の進化を遂げていきます。

「狛犬」というその名前から一対のどちらも「狛犬」であるという誤解が生じますが、正式に「狛犬」なのは向かって左側であり、右側は「獅子(ライオン)」です。左側の「狛犬」は口を閉じた吽行の一角、右側の「獅子」は口を開いた阿行の角なしとなります。

狛犬が阿吽(あうん)であるのは、先に伝わっていた仏教の金剛力士像(仁王像)による影響だと思われます。

門前の守護獣としての役割は「ミケーネの獅子像」に代表される古代オリエント及び、中国の「獬豸(かいち)」、朝鮮半島の「海駝(ヘテ・해태)」にそのルーツがあり、一角の狛犬像は「獬豸(かいち)」の影響が色濃く残っているということになるのではないでしょうか。

現在では頭には角がない「狛犬」が主流であり、角ありはあまり見掛けません。

実は江戸時代頃までは「狛犬」の頭には角「獅子」の頭には宝珠という組み合わせが一般的だったようです。宝珠は如意宝珠ともいわれ地蔵菩薩如意輪観音吉祥天がその手に持つものであり、これも仏教の影響が多分に含まれています。

古代オリエント、インド、中国、朝鮮半島を渡って日本へという狛犬のルーツをたどるお話でした。

インドでは仏様の神威を示す目的で、仏像の台座に一対の獅子を刻み込んでいました。また仏像の前に守護獣として獅子像を置く風習もありました。恐らくこうしたインドの古くからの習わしが仏教伝来(インド→中国→朝鮮半島→日本)と共に日本に伝わって来たとも考えられます。

様々な狛犬の原型たる要素が多様なルートを経て、また長い年月をかけて日本に伝わり、現在の形に集束していったのでしょう。

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久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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