2019.12.27
天河大辨財天社 〜ご縁がなければたどり着けない聖域〜

2005年に私は初めて奈良県の天河大辨財天社(以下、天河神社)を訪れました。この地は私の占術家としての、スタートの地といっても差し支えのない大切な場所です。
天河神社といえば市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とする神社です。市杵島姫命は辨財天として信仰される芸能の神。日本国内だけではなく海外の名立たるミュージシャン達も、ここを訪れ参拝や奉納演奏を行なっています(日本人では細野晴臣さん、長渕剛さん、UAさん、海外のアーティストではU2やデヴィッド・ボウイのプロデューサーとしても有名なブライアン・イーノなど)。
日本有数のパワースポットとしても知られ、「天河神社と"縁"がなければ辿り着けない」とも言われます。
境内には「天石」といわれる磐座が本殿へと上がる石段の左右に鎮座しています。案内板にはこのように書かれています。
四つの天から降った石
三つの湧き出る清水
八つの杜
に囲まれし処とされ、神域をあらわす。そのうち三つの天石(一つ石階段右、二つ五社殿前、三つ裏参道下行者堂左)を境内に祀る。
*四つめは境内の北側に位置する弁天橋から天ノ川を見下ろした川の中にあります。
1791年に著された「大和名所図絵」にも「大峯天河社」の項に「四箇の怪石」との記述があります。古の時代に、この地に落下した隕石が、磐座として信仰の対象となったのかもしれません。
私は事前に、左の石に手のひらをかざすピリピリと痺れ、右の石に手のひらをかざすとほんのり温かくなると聞いていました。半信半疑で天石に手のひらを近付けましたが、本当にそのように感じたので、とても衝撃的だったのを今でも覚えています。
縁がなければたどり着けない?
全国数多くの神社仏閣へ伺っていますが、天河神社以上に清々しく、威厳に満ち、温かな気を放っている神社はないと個人的に実感しています(この天河神社と対となるのが京都の鞍馬寺。特に本殿金堂から奥之院参道を経て魔王殿へ至る道程はパワーに満ち溢れ、体調がすぐれない方も元気を取り戻せます)。
それは恐らく、天河神社そのものが観光地化されていないことと、スピリチュアルに造詣の深い方、関心のある方しか、その存在に気付きにくい独特の存在感があることも影響しているのかもしれません。またそのせいか雑誌やメディアで取り上げられることも少なかったりします。
また、第六十五代宮司の柿坂神酒之祐氏の異色の経歴(南米アマゾンでの生活や、世界各地を放浪するなど)や、オリジナリティ溢れる個性と感性、自由度(トランス・ミュージックをBGMにした護摩焚き、護摩とクリスタルボウルのコラボレーション、国内外アーティストによる奉納演奏など)も、天河神社の発するパワーと魅力に繋がっています。
先ほど「縁がなければ辿り着けない場所」だと書きました。またその方が「行きたい」と思い、計画を立てていても、その人が行くべきタイミングではない場合、別な言い方をすれば「天河の神様から呼ばれていない」のであれば、計画が途中で頓挫したり、急用が出来て行けなくなったりします。
私はこの具体的な例をたくさん見聞きして来ました。そして15年前に初めて天河神社へ伺った時も、同様の経験をしたのです。
その時は三重県に住む霊能者の友人と、大阪に住む友人とで、現地近くの吉野で待ち合わせました。大阪に住む友人は、天河神社に行きたいと思っていたわけでも、関心や興味があったわけでもなく、私が半ば無理矢理誘ったような状況でした。元気のなかった友人を何とか外に連れ出して気分転換をしてもらおうと思ったのです。
そんな私も、この年は長年働いていた会社を辞め、フリーライターとして仕事をし始めたばかりで、これからどう生きていけば良いのか、迷走をしていた時期です。
吉野駅に降り立ち、友人達と合流してから、車で天河神社へと向かい始めました。しばらくすると、大阪からやって来た友人が後部座席で虚ろな表情をしているのに気付きました。冷や汗をかいて「気分が悪い」と訴えるのです。取りあえず車を路肩に止めて様子を見ましたが「天河神社へと近付く毎に頭が割れるほど痛くなった」のだそうです。
私と、三重県から来た友人は「今回は行くべきタイミングではない、まだ呼ばれていないということ」なのだと顔を見合わせて頷きました。
大阪の友人は「残念だけど、私は天河神社へ行くことを断念するから、2人はこのまま予定通りに行って欲しい」と言います。私たちはその友人を吉野駅まで送り届け、天河神社へ向かうことにしたのです。
龍神の歓迎を受ける
三重県の友人は幼い子供を2人連れて来ていました。
私たちは神社の駐車場に車を停めました。本殿へ繋がる石段が長いので、子供たちを車に残して大人だけで参拝しようという話になり、子供たちにも「すぐに戻って来るから、ここにいてね」と伝え、車を後にして本殿へ向かい始めました。
手水舎で身を清め、参拝をして、しばらく拝殿内にある有名な能舞台や五十鈴を眺めたり、写真に収めたりしていました。その時、子供たちの声が背後から聞こえます。振り返ると車に残して来たはずの子供たちが、拝殿にいるのです。
「車にいなさいって言ったでしょ?でも、どうやってここが分かったの?よく来れたね」と言うと子供たちは屈託のない笑顔でこう言いました。
「龍さんが2匹、僕たちをここまで連れて来てくれたの...ほら!」と言って屈託のない笑顔で頭上を指差しています。
霊能者を親に持つ子供ですから、幼いながらにも霊的感受性に優れているのでしょう。彼らは確かに何らかの存在を感じ取っているようでした。とはいえ、私自身もどこか半信半疑でいたのです。
しかし、考えてみると「天河神社」に来る途中で、役行者所縁の山寺であり洞川温泉近くの「龍泉寺」に立ち寄って来たのです。
「龍泉寺」とは以下の様な場所です。

龍泉寺
また、天河神社も龍と関係性が深く、「天川村」そのものが龍が住んでいたという伝説があるほどです。
そこで私は、子供たちを写真に撮りました。すると驚いたことに、何とそこには子供達の言う通り、2つのキラキラと眩く輝く光が、子供達にまとわりついていたのです!果たしてこれは偶然でしょうか。子供達は確かに「2匹の龍さん」と言ったのです。
私に寄り添う修験者
そして帰り際にも、不思議な体験をしたのです。
拝殿での参拝を終えて、朱の鳥居を撮影したのですが、その写真には鳥居に光の帯が伸び、その光の中に白装束を着た修験者の男性がハッキリと写っていたのです。まるで天上から太陽の光に乗って降臨して来たかのようです。顔は光に包まれて判然としませんが、鈴懸(すずかけ)といわれる修験者の着る法衣の合わせの部分までハッキリと見えています。見ようによっては「天狗」のようにも見えるのです。
後から、三重県の友人にその写真を見せると驚いた様子で、このように言いました。
「吉野駅で待ち合わせをしていた時に、この写真に写っている白装束の男性が私に寄り添うように後ろから続いて、改札を出て来た」のだと・・・
私は写真に写った修験者と何らかの縁があり、天河神社を訪れなければならなかったのでしょうか。
この不思議な体験の直後に私は縁あってこの仕事に就くことになります。いえ、就いたというよりも、拒んだけれど、この道へ誘われた(いざなわれた)と言ってもいいかもしれません。

天河神社・奥宮
天河神社の鎮座する天川村は、修験道の聖地である大峰山系の「弥山(仏教用語の「須弥山」が転じたもの)」の裾野に位置しています。弥山には天河神社の奥宮もあり、修験道の行場としても知られています。高野山開山前の弘法大師空海もこの地で行を行なったとされます。
私の撮った写真に現れた修験者も、この地で修行に明け暮れた行者の1人だったのでしょう。
神仏と、温泉と、星空と
天河神社に初めて訪れてから早いもので15年の月日が経ちました。当時は神社の境内の真横にある「民宿びわ」に宿泊しました。洞川温泉付近まで出ると比較的立派な温泉旅館などもありますが、神社の側でたっぷりと朝晩、神気を感じたい方には神社周辺にこのような民宿が点在していますので是非、ご利用下さい。
私が宿泊した「民宿びわ」は、一泊素泊まり三千円ほどで別途料金を払えば夕食、朝食を出して頂けます。「民宿びわ」では自家製のこんにゃくなどを頂きました。「民宿びわ」が最も境内に近く(ほぼ神社の敷地内といっても良いくらいです)宿泊しているだけで身体も心も心地良くなって来ます。朝早く起きて、まだ参拝客のいない神社に散歩に出掛けて瞑想したり、じっと佇んだりと独り占めも出来ます。
また天河神社から南へ5分ほど歩いた場所には「天の川温泉」という温泉施設があります。清流「天ノ川」のせせらぎを聞きながら、露天風呂に浸かり満天の星を見上げることも!「天の川温泉」からさらに南へ進むと天河神社の禊殿があります。のどかな天川村をのんびり時を忘れて散策するだけで心が鎮まり、癒されるでしょう。
天川村、弥山はUFOの目撃も多いと聞きます。何とも不思議な魅力に包まれた場所です。
バスなどを使って行かれる方は、便数がかなり少ないのでしっかりと計画を立てて赴かれることをお勧め致します。
MAP
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。