2020.5.6
鳥居とは何か?① 〜鳥居の起源と、不思議 + 鳥居の知られざるパワー

今回から数回にわたって「鳥居」をテーマにお話をしようと思っています。
鳥居の起源
鳥居とは何か。
鳥居という存在は、あまりに私たちの日常にありふれています。都会のど真ん中であろうと、のどかな山間部であろうと、必ず私たちの視界のどこかに飛び込んで来るのが鳥居です。
鳥居というものが、誰によって、どういう意図で作られたのか、そして何故「鳥居(とりい)」と呼ぶのか、その起源については、実ははっきりと分かってはいません。数多くの推論があるだけで、いまだに定説となるものはなく、謎に満ちているのです。
今回は、その数ある推論のうちから、いくつかの起源や語源を見てみましょう。
あなたは、どの説が有力だと思いますか?
まずは海外が起源となる説から。
古代インド説
古代インドの塔門「Torana(トラーナ)」は、その音と形が「トリイ」に似ているため、これが鳥居の原型なのではないかとする説があります。
外見は、鳥居よりもはるかにゴージャスですが、基本的な形は似ているように感じられます。
インド最古の仏教遺跡である世界遺産「サーンチー」のトラーナが有名です。
中国の華表(かひょう)説
中国において、宮殿や墓地などの前に建てられた標柱のことを「華表(かひょう)」といいます。この「華表」が鳥居の源流となったとする説があります。
華表と書いて「トリイ」と読む苗字があり、現在日本に約100名の「華表(トリイ)」さんがいます。
古代インドのトラーナは塔門であり、鳥居に通じる部分が顕著に見られますが、華表は門柱ですので、その用途は鳥居とはかけ離れているようにも見受けられます。
朝鮮の紅箭門(こうせんもん)説
朝鮮で主に墓所や廟、宮殿、教育施設などの前、村落の入口に建てられた紅色の門のことを「紅箭門(こうせんもん・フンサルムン)」といい、これが鳥居の原型だとする説があります。
写真でも分かるように、トラーナ、華表よりは、私たちが日頃目にする鳥居に似ています。
紅色なのは、魔除けの意味があるとされ、 こちらも稲荷社の「朱(あけ)の鳥居」に通じます。
アカ族の門(ラオカー)説

Uploaded on February 5, 2008 by Maliayosh to Flickr.com, reloaded to commons by Namazu-tron on 20 July 2009. / CC BY-SA
タイ北部の山岳地帯に住むアカ族。「川から遠く離れる」という意味を持つ「アカ」は、川沿いの地域に住んでいた際に伝染病が蔓延した経験に由来しています。
鮮やかな民族衣装が特徴的なアカ族。
アカ族の村々には、日本で見る鳥居に大変酷似した「ラオカー」と呼ばれる門が建てられています。
彼らは、毎年このラオカーを作り替えます。建てる前に祈祷師が、米のスープとトウモロコシの地酒、生姜汁と真水、竹製の水筒と卵と米を祖霊に捧げます。
その後、村人が協力して二本の柱を建てるための穴を掘り、柱や横木を飾る木製の彫り物を作ります。この彫り物は鳥や獣で、時にはヘリコプターや銃も彫られるそうです。つまり村を守護してくれる存在を、ラオカーに宿らせるのです。
この彫り物は全て赤く塗られ、柱の根元には男女の木造が置かれます。
このラオカーは、悪霊が村へ侵入することを防ぎ、善霊と隔てるためにあるのです。
ラオカーは村によって若干、形が異なります。上の写真では二本の柱に横木を通しただけの簡素なタイプですが、二本の横木を(鳥居でいうところの)笠木と島木のように重ねたタイプも存在します。
鳥居は、神の領域と俗世(人)の領域との結界としての意味を持ちますが、ラオカーは人の生活する領域に存在する善霊と、悪霊の存在する村外とを隔てる意味を持っていることが分かります。
このラオカーが、鳥居の原型であるとする説もありますが、原型というよりも、むしろ共通した起源を持ち、非常に意味深い鳥居との一致点を持つ構造物だといえるかもしれません。

トリリトン
その他、タイの「高門(ソム・プラト)」、トンガ島の「トリリトン」を起源とする説など、鳥居の源流が日本以外にあるとする説は、実に多種多様です。
世界には、これだけ鳥居に似たものがあるのですね!驚きです。
それでは日本独自の起源としては、どんな説があるのでしょうか。
こちらも、いくつかの説を挙げてみたいと思います。
原始時代説
原始時代に集落を危険から守るために周囲を垣で囲い、その入口に2本の柱を建てたのが始まりとする説があります。
意味合いでいえば、アカ族のラオカーに近いものかもしれません。
於不葺御門(うえふかざるごもん)説
伊勢神宮の内宮「皇大神宮」に関する行事、儀式などを記した『皇大神宮儀式帳』に、「於不葺御門(うえふかざるごもん)」の記述があり、これが鳥居の最初の形なのではないかとの説がありますが、具体的にどのような形をしていたのかについては伝わっていません。
「屋根(上)を葺かない御門」という意味ですので、これが鳥居のことなのではないかと考えられたのでしょう。
「通り入る」説
神社へ参拝する時に、誰でも鳥居を通って拝殿へ向かいますが、この鳥居の下を「通り入る(とおりいる)」が、略されて「とりゐ」となったとする説があります。
羨門(せんもん)説
古墳の石室や横穴の通路にあたるところを羨道(せんどう)といいますが、この入口にあたるところを「羨門(せんもん)」といいます。(*えんもんとも読みます)
この羨門の形が、鳥居に似ているとして鳥居の原型であるとする説があります。
鴨居説
日本家屋には長押(なげし)の下に、襖や障子をはめ込むための横木があり、これを「鴨居(かもい)」といいます。横木をもつ鳥居は、この「鴨居」と同じ意味を持っているとする説があります。
鳥居は「鳥井」とも書かれます。「井」「鴨」「鳥」は水に関わりが深く、水火を払う意味を持っていることで共通しています。
長鳴鳥説
天照大神が天の岩戸へ隠れられ、世界が闇に包まれた時、八百万の神々が天照大神のお出ましを願って「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)」を横木にとまらせて鳴かせた古事記の記述を起源とする説があります。
この神話から転じて「雞栖(とりい)」、「雞棲木」となったとする説です。
鳥居の知られざるパワー
鳥居は建築物として、非常に優れた構造を持っています。柱を地中深く埋設をしているわけでもないのに、2本足で屹立し、滅多なことで倒壊することはありません。
建築士曰く、鳥居は建築学の計算上、立つわけがない。しかし、何故だかあの鳥居ならではの形にすると立ってしまう、理論を超越したものだそう。
そうした鳥居のパワーが顕在した例をいくつかご紹介しましょう。
広島・護国神社
広島市にある護国神社の鳥居は、至近距離で原爆の熱線と爆風を浴びましたが、扁額が少しずれただけで、鳥居本体は倒れることも、崩れることもなく、そのまま残りました。
2本足で立っているに過ぎない構造物が、あの原爆の破壊力を耐えしのぐことができるとは到底考えられません。人智を超えた神のなせる技か、それとも建築士さえ感嘆する、理論を超越した構造の賜物なのでしょうか。
現在、原爆の災禍を耐えた鳥居は、中国放送の横に移設されています。
長崎・山王神社
長崎市の爆心地から800メートルの距離に鎮座する山王神社(山王日吉神社)の一の鳥居は、広島・護国神社の鳥居同様に無傷。
二の鳥居は爆心から遠い片側の柱をもぎ取られましたが、一本足で残りました。
仙台・浪分神社

Bachstelze / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)
2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波の被害を被った神社は数多くありますが、奇跡的に災禍を逃れた神社もあります。
その一つが、宮城県仙台市若林区にある「浪分神社」です。
海岸線から5.5km、海抜5mの場所に鎮座する浪分神社。慶長16年(1611年)に最大震度5を記録する慶長三陸地震の被害に遭っていますが、その時襲った大津波がこの地の目前で二つに分かれたといいます。
浪分神社、創建後の天保6年(1835年)にも、青葉城の名で知られる仙台城が損壊する被害のあった宮城県沖地震が発生し、津波によって多くの溺死者を出しました。
この時、海の神が白馬に乗って降り立ち、神社に向かって襲い掛かる津波を二つに分けて退けたという伝承が残されています。
東日本大震災での津波は、浪分神社の手前約2km地点で止まりました。これは仙台東部道路にせき止められたおかげだという見方もあります。
ただ、こうした伝承を振り返ると、鎮座地そのものの人智を超えたパワーのみならず、地形を考慮した、古の人々のリスクマネージメント能力の賜物であるようにも思えます。
「鳥居」そのもののパワーというわけではありませんが、神社の持つ神秘の力を感じさせるお話です。
東日本大震災の津波被害に関して、興味深いデータがあります。
これは東京工業大学大学院・社会理工学研究科が、2012年の土木学会で発表した論文です。
論文のタイトルは『東日本大震災の津波被害における神名の祭神と空間配置に関する論文」。
宮城県沿岸の津波による浸水範囲周辺の神社を全て抽出、これを津波被災マップの上にプロットし、その神社のご祭神を調査した研究です。
神社の総数は合計215箇所、津波被害を免れた神社は139箇所、一部浸水した神社は23箇所、被害を受けた神社は53箇所です。
ここで興味深い結果が出ます。被害を受けた神社のご祭神のほとんどは、天照大神、稲荷を祀った神社であり、須佐之男命を祀った神社では1社を除き、全てが津波の被害を免れていたのです。
前回の記事でも須佐之男命が牛頭天王と同一の存在であることに触れましたが、この両神とも治水のご神徳を有する神、つまり水害から人々を守り、水を操る神であるとされます。
こうしたご神徳のおかげで、神社が守られたという見方もできる一方、水神であるが故に、水害が及ばない土地に、あえて勧請され鎮座されたともいえるでしょう。
今回は、鳥居の起源と、不思議についてお届けしました。
次回からは、鳥居の様々な種類をご紹介します。
参考文献
『鳥居 百説百話』川口謙二、池田孝、池田政弘著 東京美術
『鳥居』谷田博幸著 河出書房新社
『東日本大震災の津波被害における神名の祭神と空間配置に関する論文』PDF
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。