2020.6.3
自分の居場所をみつけ、万物と共鳴する呼吸法『対話師 山内ちえこ~「対話」からわかる魂の計画(第二回)』

皆さん、こんにちは。対話師の山内ちえこです。
1回目を読んでくださった方も、初めての方も、私のページに訪れてくださってありがとうございます。今回もこのページを通して、皆さんと対話をしたいと思っています。
自分の体感に注目しながら読み進むと、自己対話の手助けにもなります。
読む間に自分に何が起きるかを楽しみに、読み進んでみてください。
今回は、対話からもたらされる、自身の変容や、他者との関係の変化、新しい物事との縁、呼吸の実践法などをお話していきますね。
対話から生まれるもの
心地よさから共感、信頼、安心が生まれる
対話は、双方向のやりとり。
自分も相手も、すべてのいのちを「尊重」して、お互いを分かり合うための方法です。
感性と感覚を信頼して、自分も相手もよくわかり合い、心地よい関係を結ぶと、生きていく力が湧いて、元氣になりますよね。
お互いにそうあることが大事なのです。自分が我慢をしていたり、相手に我慢をさせたりするのは、苦痛を与えあう関係ですから、対話にはなりません。
関係に、上下や優劣があることも、自己中心、自己満足の関わりになり、心地よい関係を結んでいることにはなりません。
自己流の関わり方はダメ、ということではなく、自己本位とは違う、という意味です。自分が「正しい」では、対話を始める前からすでに、関係性が決まっています。
そう、一方的です。
相手を見下げていると自覚をしていなくても、誤りを正そうとすると、対話は成立しません。
例えばある時、自分とは違う意見や態度の人を見たとします。
その時の会話で「常識的にはね・・」「ふつうはね・・」などと、言ってしまうことはありませんか?
また、こうした場面に直面したとき、どのようにしていますか?
国や人種、地方、時代によって風習や教育が違えば、考えや思い方が違うことは、ありますよね。
落ち着いている時はこのように考えられても、自分の思考に合わないことに直面した時、つまり感情が揺れた時、寛容でいられない自分、審判する気持ちが現れはしませんか?
審判されることからは、共にある感覚・共感は生まれませんし、お互いを信頼する気持ちや安心感は生まれてきません。
自己尊重から愛と信頼が生まれる
対話は、双方向のやり取りです。相手を見下げる視点や、感情的な自分では、うまくいきません。
では、どうしたらいいのでしょう?
先に、自分も相手もすべてのいのちを「尊重」し関わる。と書きました。
この尊重は、対話ができるか、そうでないかの分かれ目、大きなポイントなのです。
尊重の意味は「価値あるもの、尊いものとして重んずること」と、辞書にはあります。
少しかみ砕いてみると、「尊い=大切・貴重」、「重んずる=大切にして敬う、重きを置く」、なので、「尊重=大切なものとして大事に扱う」、これを「愛の入り口」と捉えます。
このように、私は考えています。
「尊重・愛のゲート」をくぐりやすい、自分の在りようは「ゆるみのある自分」です。
ゆるみは、ぐにゃぐにゃな様子ではなく、芯はしっかりあって、他のところには力みのない様子です。
体でいえば、心地よく立ち、座れている様子です。
背骨がスッと立っていて、骨盤の上に肩はあり、足裏は地についていて、首は頭の内へスーッと伸びていて、頭は肩の上にふんわり乗っている。
このような感じです。縦軸と横軸のバランスが取れている、そんなイメージ。
人の体感はいろいろなので、自分で立って体感してみてくださいね。
心地よくあると、自分の在りようがよくわかります。
どんな自分も尊重しようという、愛あるまなざしと態度でいることができます。体験したことを受け止め、受け入れる、ありのままの自分を体感し肯定する。それは、〇〇ができるのがよい、〇〇を持つと素晴らしい、など条件を付けないでいることです。
そうした自分で、体の様子、発する声を観て感じ取ります。
心の在りようを観ながら、魂という内なる自己と一つになり、その純度を感じたり、生まれてきた計画に気持ちを寄せて、変容する機会を見出そうと、対話することを「自己対話」と呼んでいます。
自己尊重、自己肯定に向かうまで、繰り返し何度もやってみます。
気づきのゲートへはこうして進みますが、そこに向かいやすくするのは「呼吸・息」で、力を入れたコントロールの呼吸ではなく、身心にゆるみをもたらす手助けとなる「心地よいと感じる呼吸」です。
これは、自分を尊重し続ける支えとなりますし、身心から魂の領域へ、いわゆるゾーンに入るという感覚や、そこから深淵に広がる高次の自己、霊的な世界の探求へ、ガイドしてくれます。
呼吸・息は、自分が生まれる前の世界と、今の世界をつないでいますし、他者をはじめ、すべてのいのちをつないでいます。なので、見える世界と観えない世界の架け橋ですね。
では、自己尊重に向かう「ゆるむ呼吸」や、すべてのいのちとのつながりを「自覚する呼吸」は、どのようすればいいのかを、次にご紹介しますね。
呼吸法
息に動作を合わせる
呼吸・息は、エネルギーの巡りを助け、いのちをつなぎ、いのちのある間しかできません。
緊張すると、息は早くなり、ゆるむと、ゆっくりになります。またその人特有のリズムがあり、まるで音楽のように息は流れて、身心にいろいろな働きかけをします。もちろん魂の領域・霊的な世界に行くのも、息は大きく関係しています。
また、息は人やもの、すべてのいのちと関わるときに、大きな役割を担っています。
良好な関係を築きたいとき「相手と息を合わす」と言ったりしますね。
一緒に何かをする時も「せ~の」などと、声をかけあって、頭出しをシンクロさせて一つのことをする。
対話は、このように「息を合わせて関わる」イメージなのです。
だからこそ、「呼吸・息」をとても大事にします。
はじめに、自己対話から始めるので、あらゆる自分をよく見渡せる「自分の居場所」を、観つけます。
それには「ゆるんでいる」自分になることが大事、と先に書きました。
でも、どうやって?
どのように息を吐いたらいい?
吸えばいいの?
という、疑問が湧くかもしれません。
心配しないでくださいね、体はどうすればいいか、すでにわかっています。
わかっていますが、「ああ、それ!」とわかるきっかけをつかむ「呼吸・息」を、意識して行います。
何かをしていて、一息つきたいなと感じた時、休憩しようと椅子に座った時は、どんな息が出るでしょう?
「ふ~っ」・・・こんな息ではありませんか?
「ふ~っ」は、ゆるむ息です。
心地よい体感がある息で、自分の居場所へ向かう息でもあります。
偏らない自分・中庸の場ともいえる居場所で、「ふ~っ」の息を繰り返すと、「尊重・愛ゲート」の前に立ちやすくなります。
ではここで、試しに一息「ふ~っ」をしてみましょう。
2、3回繰り返してみてください。
どんな感じがしましたか?
息は、無意識にしていることが多いと思います。
意識した時、体はどんな様子になりましたか?
観察してみましょう。
「ふ~っ」の息は、外に出す、というより「ふ~っ」が体の内を通っていく感じです。
その時、一緒に手を下ろしていくといいですよ!自然な「ふ~っ」の一息です。
その時、体のどのあたりに手が降りますか?
気持ちが向きますか?
胃のあたり、おへそのあたり、だいたいそのあたりだと思います。
ここは「自分の居場所」、体でいうと「鳩尾(みぞおち)」と言いますね。
第3チャクラのところです。
自分の身長のおよそ半分くらいのところで、ウェスト・くびれの部分です。
背骨に沿って縦軸を、鳩尾・ウェストあたりで横軸を引いて、交わったところにあるポイントです。
ここは、「体・心・魂」どれにも愛のまなざしを向けやすい、自分の在りようを観やすくなる、自己対話につながるポイントです。体の感じ方を観ながら、気持ちがどのように動くかも観ていくのです。
寄せては返す波のように、心地よく息を繰り返します。
息にカウントをつけたり、コントロールをしません。
「ふ~っ」と息が出て、自分の居場所へ行き、次の息を吸いたくなった時に、息を迎え入れます。その時気持ちは、自分の居場所に置いたままにします。
そして、鼻から息が入ったら「ふ~っ」、自分の居場所に息が出ていく。
自分の自然なリズムで、体がしたいように、心地よく息を繰り返します。
その中で、自分の体感、在りようがどうなるかを観ています。
穏やかな感じになるのか、動きたくなるのか、落ち着いていくのか。ありのままの自分を観ます。
自分の息と心地よく一つになる。
この呼吸の方法を、他者との対話につなげていきます。
息を通して、相手を尊重し、共感、共鳴し合うところから、始めます。
自分の居場所が鳩尾なら、相手の居場所も同じところにあります。
相手と自分をつなぐのは「息」を合わせること。
居場所同士が合うよう呼吸をすると、相手と通じ合うことができます。
人が話す言葉の意味は、生きてきた背景が違えば、そこに含まれているものが同じでないことがありますから、言葉よりも、息が合うことを意識したほうがいいのです。
それから、相手と息を合わせていきます。
相手の体の動き、肩や胸の動きを観察したり、相手の話す速さ、リズムを見聞きすることで、息を合わせていくことができます。
息をするとは、話すことと同じで、話し声は、息の上に音が乗り、言葉とともに出てくるものです。
呼吸の柱(背骨がその役割)を上がってくる、吐く息に音が乗り、響いて声になり、「言霊」が発せられるのです。
このイメージで声が出る(息をする)と、自分の居場所・中庸の場へも響いて、自分をよく観れるようにもなります。息が合う、のは、双方にとって意味のあることなのです。
他者との対話を自分の居場所でする時、吐く息(声=音・言葉)が骨に響き、言葉の意味と重なりあい、相手と共鳴し、お互いのエネルギーが巡り合います。
感情や考えの囚われから脱出し、中心軸(背骨、自分の居場所など)に戻ろうと、言葉上だけでなく、声の中に在る、魂の想いという耳には聴こえないけれど響きとして、呼びかけあうことができます。聴こえない音は、高周波音で、テレパシーとも呼ばれます。
聴こえる音・言葉と、聴こえない音・想いのコトバ、両方を使って、対話は進みます。
感じくみ取る感性と、体感する感覚、両方を使う、というのは、こうした意味があるのです。
山内ちえこ のプロフィール

青物商家で食材、植物に囲まれた環境で、様々な種類のペットたちとともに育つ。
幼少期より「商いの盛隆は、霊的、精神的な成長が大切」と祖父母の代よりその啓発や霊的示唆を受ける。
学生時代に過去世からの課題や、親や他者との関係を通して、身心と魂のバランスに苦慮した経験を持つ中「*身心一如」すると奇跡的な体験がもたらされることを、音楽芸術やスポーツ選手経験(競泳を経て、アーティスティックスイミング=シンクロナイズドスイミングを経験)を通して学ぶ。
胎内記憶、出産時の記憶を維持して成人する。
スポーツクラブ業界で乳幼児プログラム開発を経験後に起業。水・陸で行う様々な五感と感性に働きかけるセラピーやワークを国内外で学ぶ。重度重複障がいのある赤ちゃんとの出会いにより、感覚統合的エクササイズの開発に着手。
それにより「身心一如」と「魂の計画」との関係性の研究を掘り下げながら、障がいがある子どもとそのご家族を応援するNPO活動「JOY」クラブを設立し、障がいがある子どもと親が楽しみながら潜在に持つ力を発揮できる活動を始める。
北マリアナにあるサイパン島との文化交流親善大使を経験。同政府観光局、社会貢献的事業をサポートする現地企業などとの連携で、障害がある子どもの「身心一如」を体験できる国際交流活動にも着手した。
こうした活動、事業を行う中で「魂、心、身体」に気持ちを向ける「対話」が、健康状態や妊娠出産、生き方改善などに効果を期待できることに着目、実践研究を重ねてチエコメソード「対話ワーク」として確立した。
(株)ハグインターナショナルを設立後、池川クリニックにておなかの中の赤ちゃんと母親のヒーリング対話セッションの実践経験を積み、その後、おなかの赤ちゃんをはじめとして、言葉を話せない、話さない人を含め「動・植・鉱・物」など「全てのいのち」との対話ワーク、人生と仕事の発展コンサルティング、人生や人間関係、健康などの悩みに対応するヒーリング&セラピー、様々な事象の好転・改善に向かうワーク&コーチングなどを、大人子ども問わず行う。
*「身心一如」曹洞宗開祖である道元禅師が思想書「正法眼蔵」で説いた言葉。
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