2020.7.8
日本でもっとも豊かな隠れ里「人吉」・不思議な出会いと、絶対愛

今月4日、熊本県南部を50年に1度といわれる豪雨が襲いました。
人吉盆地を貫くように流れる一級河川の球磨川が氾濫し、「九州の小京都・人吉」の町は浸水、冠水の被害に遭いました。
新型コロナウイルスにともなう、緊急事態宣言の発令直後に公開した2つの記事。
「過去から届いた手紙 〜家族の愛は時間をも超えて〜」
「小川の少女 〜 心に灯火をくれた、不思議な少女との出会い 〜 或るひと夏の記憶」
これらは今回、大きな被害に遭った人吉・球磨地方で起こったことなのです。人吉は、今は亡き両親の故郷であり、私自身の第二の故郷でもあります。
温泉と清流が自慢の、のどかな城下町。そして家族との想い出の詰まった、セピア色の町。そんな、愛おしい人吉の惨状を報道や、ネットなどで目の当たりにして、言葉を失い、心を痛めています。
今回の熊本南部豪雨で被害に遭われた全ての皆様に、心よりお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

球磨川
人吉の町は、人生の岐路に立たされた時、深く傷ついて立ち上がることを諦めそうになった時に、救いを求めるような心持ちで訪れると、必ず温かな出来事が起こり、私の心に火を灯してくれました。
今日は、そんな人吉の心温まるお話をしたいと思います。
なぜ、このタイミングでこのことをお話ししようと思ったのか、それは最後の章に書いた出来事があったからなのです。
「人吉」は、「人好し」

人吉城址
球磨・人吉地方は、アニメ『夏目友人帳』の舞台にもなっており、劇中に描かれた場所へ「聖地巡礼」と称してたくさんの方々が全国から訪れて下さっているようです。
佐藤健さん主演の映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』、岸井ゆきのさん、光石研さんらが出演の『おじいちゃん、死んじゃったって。』などのロケ地にもなっています。
温泉地とはいえ、日々観光客でごった返しているといった感じではなく、人通りは少なく、高齢化の影響からか商店街も閉店している店が多い、お世辞にも活気があるとは言えない町です。ただ私はそうしたどこか垢抜けない、素朴で、郷愁を誘う、静かな人吉という町の風情が大好きなんです。
『夏目友人帳』でも、人吉の町が鮮やかに描かれています。人の心の中に誰しもある、心の休息地としての故郷(さと)の原風景がそこにはあります。幼い頃には、父と球磨川でハヤ釣りをし、両親や親戚たちと青井阿蘇神社の「おくんち祭り」の神幸行列を見物したものです。
人吉は、「人良し」「人善し」「人好し」とも言い換えられるくらい、人がとても温かく、気さくで、優しくて、人懐っこい土地柄です。方言のイントネーションにも、それが表れていたりします。
一人で訪れても、町を歩けば、地元の方が気さくに挨拶をしてくれ、温泉に入れば、居合わせた方とつい話し込んでしまい、長風呂になってしまいます。最初は伏し目がちで照れ臭そうな地元の人も、一度話し始めると古くからの友人や知人であったかのように、話が尽きないのです。
そんな人吉に住む人々のエピソードを、私の公式HPの日記に書いておりました。今日は、それをご紹介させていただけたらと思います。
ある、焼き鳥屋さんとの出会い
導かれるままに
人吉を訪れた時は、なるべくホテルや旅館で食事をするのではなく、地元の方が行くような小さな居酒屋などに行くようにしています。飲食店が多く集る通りを歩いて、インスピレーションの導くまま、その日の目的の場所を決めます。
ふと、その日はいつもとは少し離れた場所で食事をしてみようと、人吉の町の中心部に架かる人吉橋を渡り、球磨川を超えて永国寺(幽霊の掛け軸で有名な古刹)の方向へと歩きました。
すると一軒だけ、ポツンと赤提灯と、暖簾の下がった焼き鳥屋さんが見えます。周囲には他にお店から漏れてくる明かりも見えない様子なので、これ幸いとその焼き鳥屋さんへ入ることに決めました。
暖簾を手でかき分け、扉を開いて店内に入ると、狭いその店には店主と思しき中年の男性が厨房ではなく、テーブル席にリラックスした姿勢で座り、新聞を広げています。
一瞬「あ!入っちゃいけない店に入ってしまったかな・・・」と後悔しましたが、入ってしまったものは仕方ありません。
店主は、扉の開く音に気付き、両手で開いていた新聞を少し下に下げると、入口の扉の前に立っている私に目をやり、その存在を確認するや否や、ハッとした表情で新聞を慌てて畳んでテーブルに置きました。
そしておもむろに立ち上がり、「いらっしゃいませ!すみません、お客さんがいないんで、くつろいでました」と、申し訳なさそうな照れ笑いを浮かべる店主。
「開いてますか?」と私が聞くと、「は、はい!開いてますよ。どうぞ、どうぞお座りになって下さい!」と、一番奥の4人掛けのテーブルへ案内してくれます。申し訳ないくらい何度も頭を下げるのです。
「いや〜こんな場所でしょ?ご近所の方以外には滅多に一見のお客さんは来ないので、今日は来て下さって嬉しいです!さ〜何にしましょうか、あ〜これはどうですか?」
そして「おーい、おーい、お客さんだぞ!」と、どうやら奥様を呼んでいる様子。
すると奥様が、店の奥にある部屋から出て来て、私の姿を見つけるなり満面の笑顔。
「あら、いらっしゃいませ!」元気な声が店内に響きます。
それから、注文していない料理まで出して頂き、ご夫婦と私の3人で地元人吉の話しに花を咲かせました。初めて会ったのに、馴染みの店か、親戚の家に遊びに来たかのように迎えてくれたご夫妻。
この日は、素晴らしく楽しい夜を過ごしました。
そろそろ夜もかなり更けてきました。名残惜しいですが、宿へ戻ることにします。
「お勘定を」とお願いすると、金額が書かれた一枚の紙を渡してくれました。そこに書かれていたのは、そんな額で良いのかというほどの料金。安過ぎるのです。
「これ、計算間違いじゃ・・・」
「いや、いいんです。来て頂いて嬉しかったのは私達の方ですから。また来られた時にたくさん注文してもらえれば、それでいいんです」
ご夫婦が、楽しそうな笑顔を浮かべて、そのように言ってくださるので、その日は、お言葉に甘えて、お店を後にしました。
店主の心遣い

人吉駅舎
翌日は、福岡へ帰る日です。
帰りの特急までは時間があるので、人吉の町を散策することにしました。昨夜の思いがけない楽しく、温かい宴を思い出すと、足取りも軽やかになります。
ひとしきり散策を楽しんで、人吉駅に着いたのは午後2時くらいだったでしょうか。
駅に入ろうとしたところ、誰かに背後から声をかけられました。
「いや〜、会えて良かった〜」
何と、昨夜の居酒屋のご主人です。
この日に福岡へ帰るとは言っていたものの、何時の特急で帰るとまでは話していませんでしたから、朝から駅前に車を停めて、私が来るのを待っていたそうなのです。
福岡までの長旅でお腹が空くだろうと、朝一番でケーキを買って来てくれていたのです。
「これ、食べてもらいたいと思って」
「ずっと待ってたんですか?」
「いや〜昨日は嬉しかったもんだから、お礼にと思って」
そのご主人の温かさと、人懐っこい笑顔に、涙が溢れそうになりました。
私はご主人に見送られて、人吉を後にしました。
やり取りは続いて...
それ以降、ご主人とは年賀状のやり取りが続きました。年賀状には「また、店に来てくださるのを妻と楽しみに待っています」と毎回書かれています。私もご夫妻の笑顔をまた見たいと、いつも思っていたのですが、なかなか人吉に行けないままに年月は過ぎ去っていきました。
すると、年賀状がある時期からピタリと来なくなってしまいました。気にはなっていても、なかなか人吉に行けずに時間ばかりが経過してしまいます。
やっとのことで数年振りに人吉へ赴き、ご主人を突然訪ねて驚かせようと思ったのですが、焼き鳥屋があった場所は既に更地になっていました。
もう、商売を辞めてしまったのでしょうか。身体を壊してしまったのでしょうか。移転したのか、それとも人吉以外の場所に引っ越したのでしょうか。
私が20代の後半頃の話しなので、お元気なら今、ご主人は70代くらいではないでしょうか。お元気でいてくれているでしょうか。
一昨年、人吉を訪れた際に、ふらりと入った居酒屋。店主は地元のことに詳しいということで、この辺りに居酒屋があったはずだと、当時のことを説明すると、他の従業員にも「知ってるか?」と聞いてくださりましたが、誰もこの居酒屋の存在を知りません。
狐につままれような感覚に陥ります。
ご主人にいただいた名刺や、年賀状も、どこを探しても見つからないのです。
今でも、当時の記憶だけは、温かく心に残っています。
ある、お婆さんとの出会い

青井阿蘇神社
焼き鳥屋のことは特殊な例かもしれませんが、人吉の人はいつも気さくに声をかけてくれます。ですから一人旅も、こちらが心を開きさえすれば全く寂しくはありません。
こんなこともありました。
ある時、青井阿蘇神社での参拝を終えて、鳥居の前で佇んでいると、1人のお婆さんが歩み寄って来て「どっからきやったとね?(どこから来たの?)」と尋ねて来られました。
福岡から来ていて、実は両親が人吉の出身で、と生い立ちや身の上話をすると、そのお婆さんは、私の背中を温かいその手でさすってくれ、「そうか、そうか、よく来たね。お父さんも、お母さんも喜んでるよ」と涙を流してくださっています。

お婆さんと出会った、青井阿蘇神社の前
私も、ついついもらい泣き。お婆さんは、そのまま私の背中に手を置き、空を見上げて涙を乾かしている様子。それからお婆さんは、ご自身の苦労話や、人吉の町の移り変わりについて、優しい眼差しで話して下さりました。
しばらく会話を交わした後、お婆さんは私の手をギュッと握りしめて、ニコッと笑い一言。
「いつでも、帰っておいでね」
涙を拭いながら、そう言い残して帰って行く後ろ姿を、見えなくなるまで見送りました。
私が人一倍、人吉という地に思い入れを持っているからかもしれないし、出会いの偶然が重なっただけともいえるかもしれませんが、人吉は私にとって本当に「人良し」な場所なのです。
都会で心が疲弊したら、皆さんも「人吉」を訪れてみませんか?その時は、心閉ざさず、思いっきり心を開いて、自分の方から人へ歩み寄ってみて下さい。
偶然、手にした一冊の本
熊本南部豪雨が発生する1週間前、私はある古書店に入りました。とくに目当ての本があるわけではなく、棚に並んだ本の背表紙を右から左に、左から右に、上から下に、下から上にと眺めて、面白そうな本がないか探していました。
すると、一冊の本が目に止まりました。
タイトルは『球磨川物語』。
葦書房という出版社から23年前に発行された、この本。どうやら初版は1979年に発行されているようで、かなり古い本です。前山光則さんという人吉の定時制高校の教諭が執筆された、球磨川や、その流域である球磨・人吉地方の歴史、文化、習俗を解説した本なのです。
数ある古書の中から、まるでその本が私にメッセージを送ったかのように、「球磨川」というキーワードが私の目に飛び込んできたのです。
「ゆったりとした風土...」という書き出しから始まるのですが、何しろ筆致が温かく、素朴。ただの歴史、文化、習俗の解説本ではなく、球磨・人吉地方に住まう市井の人々の眼差しに寄り添った本で、さすが地元の高校教師が書いた本だということが伝わります。
読み進めていくうちに、ハッとしました。
「第二章 城下町・人吉」の、1ページ前。29ページに、前の持ち主のものであろうと思われる、赤字の書き込みがあったのです。
その言葉は「絶対愛」。

第1章の最後のページに書かれた「絶対愛」の文字
この言葉が書かれたページ、前後のページにも、一切「絶対愛」という言葉は本文に書かれていません。本の内容とは全く関係がないのです。
前の持ち主はどんな思いを抱いて、この「絶対愛」という言葉を、この『球磨川物語』の、このページに赤字で記したのでしょうか。
「絶対愛」とは、キリスト教でいう「隣人を愛する」ということ。つまり「アガペー」、神の人間に対する愛、人と人との間での無償の愛を示す言葉です。
神が人を無条件、無制限に愛するように、人も隣人を等しく愛しなさい、という教えが「絶対愛」です。
人吉という心の郷里に思いを馳せる時、私の脳裏に浮かび上がってくるのは、まさに「絶対愛」。両親の想い出が今も生きる町であり、あの焼き鳥屋さんのご夫婦の愛ある歓迎であり、神社で出会った、お婆さんの私の心を想像してくださった姿であり、人吉という町で出会ったすべての皆さんの笑顔なのです。
そして、私が熊本南部豪雨の1週間前に、古書店で『球磨川物語』という本を見つけて、その中に「絶対愛」と赤字で書かれているのを見つける、この偶然を装った深いメッセージ性。
私の父方の先祖は、分かっているだけでも室町時代からキリシタンでした。ですから、この「絶対愛」という言葉には、より深い意味性を感じてなりません。
皆さん、どう解釈されるでしょうか。
『球磨川物語』の冒頭には、球磨・人吉地方の人々の「人良し」を表すエピソードがいくつか綴られています。著者の前山光則さんは、民俗学者である宮本常一さんの著書『私の日本地図11・阿蘇・球磨(1972年刊)』から、ある一節を引いています。
*一部、現在では不適切と思われる表現がありますが、原文のまま引用しています。
このコラムを書いている時点で、避難者数は1,167人、道路や線路は寸断され、いまだ孤立している村落もあるそうです。市街地は地元の方々が復旧作業を行なっていらっしゃいますが、雨は降り続いており、二次災害の危険と隣り合わせ。そんな中、県内からの災害ボランティアの受付準備も始まっているようです。
きっと球磨・人吉地方の皆さんは、隣人を思う、無償の愛、「絶対愛」で、この難局を乗り越え、心の故郷を取り戻してくれるはずです。
その時は皆さん、どうぞ球磨・人吉地方へお出かけください。
参考文献
『球磨川物語』前山光則(著)葦書房
久保多渓心 のプロフィール

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。
バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。
音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。
引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。
現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。
月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。
『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。
2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。