不老不死の霊力をもつ、大山咋神の使い「カメ」『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第十七回)』

2020.9.30

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久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

神使「カメ」

寺社の池とカメ

なぜか神社仏閣の池には、鯉などとともにたくさんのカメがいます。

池の岩の上に窮屈そうにすし詰め状態になって、甲羅干しをしているカメの姿をよく見かけますね。

これは仏教でいうところの「放生」の思想が元となっています。

仏教では生き物を殺す「殺生」を厳しく戒めていることから、捕らえた虫や魚や鳥などの生き物を放してやるという行為は、慈悲の実践を示すものなのです。

この「放生」を儀式化したものが「放生会(ほうじょうえ)」です。

神仏習合の影響で、仏教の基本思想が神道の祭儀に取り入れられたのです。

日本で最初に「放生会」を行ったのは、大分県宇佐市の「宇佐神宮」といわれています。

723年(養老7年)、大隅国と日向国の隼人の反乱を鎮圧した大和朝廷は、隼人側の戦没者の霊たちを弔うために首塚や神社を造立しました。

724年(神元年)、八幡神より「隼人の霊を慰めるため放生会をすべし」との託宣が下され、744年(天平16年)に和間の浜(現在の大分県宇佐市の和間海岸)で、貝を海に放す「放生会」が執り行われます。これが日本で最初の「放生会」でした。

宇佐神宮では、現在は「仲秋祭(ちゅうしゅうさい)」と呼ばれています。

「神亀」という年号は、724年(養老7年)に白いカメが現れたのを瑞祥(めでたい出来事が起こる予兆)と捉えて、聖武天皇即位とともに名づけられました。

松尾大社のカメ

撫で亀(松尾大社)

亀の手水舎(松尾大社)

京都市西京区に鎮座する「松尾大社」には、「幸運の撫で亀」、「亀の井」、「霊亀の滝」、「亀の手水舎」など、境内いたるところにカメの像や、亀の名の付いたスポットが見られます。

松尾大社のご祭神である「大山咋神(おおやまぐいのかみ)」が、保津川を遡って山城・丹波の国を拓く際に、急流は鯉に、緩やかな流れのところはカメに乗って進まれたことから、鯉とカメは松尾大社の神使とされています。

霊亀の滝(松尾大社)

亀の井(松尾大社)

浦島太郎

Tsukioka Yoshitoshi (Japan, 1839-1892) ロサンゼルス郡美術館蔵 / Public domain

カメといえば「浦島太郎」の昔話を思い出される方も多いでしょう。私たちが知る「浦島太郎」のお伽話が広く伝わったのは、室町時代に成立した『御伽草子』以降です。

それ以前は、『丹後国風土記逸文』、『日本書紀』、『万葉集』に「浦島子」の伝説として記録が残っています。

最も記述の詳しい『丹後国風土記逸文』では、以下のような内容となっています。

ある日、浦島子(浦嶼子)は海に釣りに出ますが、三日三晩竿を垂れても魚は一向に釣れません。すると、五色のカメが釣れます。島子が寝入っている間に釣り上げたカメは絶世の美女に変身していました。

この美女に「どこから来たのか」と尋ねると、仙界からだと答えます。この美女は亀姫(亀比売)といい、不老不死の蓬萊山(常世の国)から島子に会いにやって来たのでした。

亀姫は、島子をいざなって蓬萊山へ帰り、ともに暮らしますが、3年が経つ頃に島子は故郷へ帰る決意をします。そのことを亀姫に告げると、玉匣(たまくしげ)を手渡され、「私と再会を望むのなら、この箱を決して開けないで欲しい」と言われるのです。

懐かしい故郷に、喜び勇んで帰り着くと、そこに家族はいませんでした。聞けば、300年前に浦島子という人が突如失踪してしまい、家族は皆、もう亡くなっているというのです。

愕然とした島子は、亀姫との約束を忘れて玉匣を開けてしまいます。すると、何かが天上に駆け上がっていく姿を見ました。それは亀姫だったのです。そこで約束を思い出し、もう亀姫に会えなくなったことを悟るのです。

このような「浦島子伝説」が、『御伽草子』以降の「助けたカメに連れられて、竜宮城へ行く」というお伽話に変節し、冒頭でお話をした仏教や神道での「放生」へと連なっていくのです。

また「カメ」が、不老不死の霊力、ご利益を持つという考え方も広まっていきました。

 

亀石

霊石亀石・鵜戸神宮(宮崎県日南市)」

宮崎県日南市の「鵜戸神宮」には、霊石の「亀石」があります。

この亀石は、豊玉姫(豊玉毘売命)が鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の出産をするために海神の宮から、カメに乗ってやって来ました。このカメは、そのままこの地に留まって、石となったと言い伝えられています。

亀石の背中の部分には、穴が開いており、この穴に男性なら左手で、女性なら右手で「運玉」といわれる玉を投げて、入れば願いが叶うといわれています。

 

各社のカメ

艮神社(広島県尾道市)

兵主大社(滋賀県野洲市)

亀岡八幡宮(栃木県芳賀郡)

恐山(青森県むつ市)

北星神社(千葉県我孫子市)

 

TOP画像:酒列磯前神社(茨城県ひたちなか市)

 

参考文献

『神道辞典』国学院大学日本文化研究所(編)弘文堂
『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監修)二見書房
『神様になった動物たち』戸部民生(著)だいわ文庫
『東京周辺 神社仏閣どうぶつ案内 神使・眷属・ゆかりのいきものを巡る』川野明正(著)メイツ出版

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

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