【月参り(朔日参り・十五日参り)で人生は変化する!】遠くのパワースポットよりも氏神様を心の糧に

2019.4.17

  • twittertwitter
  • facebookfacebook
  • lineline

久保多渓心 ( ライター・占術家 )

墨が織り成す一子相伝の占術 “篁霊祥命(こうれいしょうめい)” を主な鑑定手法とする占術家。他にも文筆家やイベント・オーガナイザーとしての顔も持つ。また引きこもり支援相談活動なども行なっている。

「パワースポット」は願いを叶えてくれる?

多くの方は「開運」したいとき、現状を何とか打破したいと思うときに、ネットや書籍、またはテレビなどのメディアを通して知った「パワースポット」と呼ばれる神社仏閣を訪れることが多いでしょう。

話題になっている「お守り」や「お札」などを購入し、神域にあるパワー漲る場所で時間(とき)を過ごす。

ご自身が愛着を持ち、崇敬している神社仏閣に思いを込めて参拝されるのならまだ良いのですが、マスコミやネット上でもてはやされている神社仏閣を何箇所もハシゴをして願をかけるという方もいらっしゃいます。

そして、願いが叶わなければ「あのパワースポットは効果がない」と自分勝手な評価を下すこともあるかもしれません。

しかし、その神社の本殿に祀られているご祭神が直接動いて願いを叶えてくださることは滅多にありませんし(実際に動かれるのは神使・眷属が多いようです)、神様が突然訪ねて来た初対面の縁も所縁もない人物の願いを全て聞き取って叶えていると、人間界の秩序やバランスは崩れてしまいます。

といっても、神様は誰がどんな願いを胸に秘めて自分の元を訪れたのかを、ちゃんと把握されていますし、神社を立ち去り、帰宅したあとの参拝者の人生の道程や、心の置き方を「神社」と「神社」を繋ぐ、ある意味「神性のネットワーク」ともいえるものを用いて、後追い観察されているんです。

そこで重要になってくるのは、氏神様(時に産土様)への毎月の「月参り」です。

遠くに住んでいる「憧れの師(遠方の有名神社)」の元へは、時間もお金もたくさん使って駆け付け大事にするのに、近くに住んでいる「家族(氏神様・産土様)」の元へは、ちっとも顔を出さず、尊敬もすることなく、思いを寄せることもない・・・としたらどうでしょう。

この方は、人として大切なことを忘れていて、非常に利己的な気持ちが強くなっていることを表しています。

実は私達の住んでいる地域の氏神様は、皆さんが「有名なパワースポット」で願掛けをしたことも「神性のネットワーク」を通じてご存知です。

だからといって、それを疎ましくも、憎々しくも思ってはいらっしゃいません。

ただ、私達は氏神様・産土様へ参拝していなかったとしても、その土地の神様の愛ある恩恵を常に受けているんです。

「家族」も同じはずですね?

独り立ちして、家族と別な場所に住んでいる一人娘がいたとします。その娘が実家には全く顔を出さなくなってしまったとしても、親御さんは娘を恨んだりはしないはずです。

「健康であってくれさえすればいい」「ちゃんとご飯を食べているだろうか」「悪い男に騙されてはいないだろうか」「楽しく毎日を過ごしているだろうか」と愛をもって気に掛け、心配し、案じているわけです。それは氏神様・産土様も同じなんですね。

それなのに遠くにいる「憧れの師」の元ばかりに顔を出している姿を知れば、少し寂しい気もするでしょうし、願いを叶えてあげたくても、本人が出向いてこなければ何もしてあげられないんです。

「家族」の元に顔を出さないと、お小遣いも貰えないでしょうし、励ましの言葉もかけて貰えないでしょう。お母さんの作った懐かしくて温かい食事も食べられはしません。

氏神様や産土様、つまりお住いの地域の神様や、生まれた地域の神様を大切にすることの意味はそこにあるんです。

私は少なくともテレビなどのメディアで取り上げられる「パワースポット」と呼ばれる神社仏閣に足繁く通って願を掛けた方が、その後に真に開運されたというお話をそんなに多くは聞いたことがありません。

開運を実感されたとしても、それは長続きせず、身に付かず、効果は限定的なのです。

それは何故かといえば、自分に利が返ってくる利己的な参拝に終始してしまっているからです。自分以外に利があり、他者の喜びや幸せに繋がる利他的な願いこそ、開運の効果の永続性があるのです。

氏神様を大切にされる方こそ、開運されるに相応しい方だと思いますし、そういう方だからこそ、自分の手元にないものを必死で欲するのではなく、今既にある気付いていなかった、ささやかな幸せを、更に大きく実感されていく方だと思います。

月参りとは?

少し「月参り」の謂れについて触れてみましょう。

元来、月参りといえば仏教の寺院において、故人の月命日(祥月命日)や、その前日に僧侶が檀家さんのご自宅に赴いてお経を唱えることをいいます。ご家族や親戚縁者がお寺に直接伺って、墓前などでお経を唱えていただくこともあります。

一方の神道では、毎月1日と、15日に参拝することをいいます。

1日の参拝のことを「お朔日参り(おついたちまいり)」、15日の参拝を「十五日参り」といいます。

「朔日(ついたち・さくじつ)」の「朔」とは「新月」を意味します。

現在、私達が用いている暦は「グレゴリオ暦(太陽暦)」で、太陽の動きを基にして作られており、明治6年の元旦から施行されているものです。

それ以前は月の満ち欠けを基にしながら、太陽の動きも参考にした「太陰太陽暦」が用いられていました。「太陰(たいいん)」とは「月」のことです。

地球から見て「月」と「太陽」が黄道を経て位置が重なり(同じ方向)、「月」の光が地球へほとんど届かなくなる日が「朔=新月」であり、この日が旧暦での1日となりました(「ついたち」は「月が立つ」という意味。「朔日」の「屰」は「元に戻るの意味」)。

十五日には「月」と「太陽」が相反した位置関係となり「満月」となります。この「新月」と「満月」の日に、神社へ参拝する慣わしが「月参り」です。

「グレゴリオ暦」となった現在では、月の満ち欠けに関係なく、暦上で「1日」「15日」に月参りを行うのが一般的となっています。

月参りの参拝時間と、前夜の食事

月参りに最適な時間帯は?

月参りには、適した時間帯があります。それは、午前中の静謐な時間帯です。

そして「時間の空いた時に」とか「何かのついでに」ではなく、「神社へ参拝するために時間を割く」、「参拝を最優先する」という気持ちが必要です。

月参りに初めて行かれる際に注意して見て頂きたいのは、その日に参拝されている他の方の身なりや、佇まいや、所作作法です。

月参りを欠かさず行なっておられる方は、明らかに一般の参拝者とは違った雰囲気をお持ちになっていることに気付かれると思います。

鳥居の前ではしっかりと一揖(会釈)をし、手水舎や拝殿での所作もスムーズで美しいでしょうし、柏手の音も大きく境内に響き渡っているでしょう。

清潔感のある身なりをされ、背筋もピンと伸びているはずです。

自分の住んでいる地域の神様を大事にするということは、日頃守ってくださり、慈しみ下さっている神様に愛を返し感謝するということ。

先ほどから家族に例えていますが、それに倣えば家族の住む実家に顔を見せにいくということ。そうすると当然、帰ってきてくれた娘や息子は可愛く、愛おしく思えるものです。

神様も私達をそのように思って下さいます。そうすれば神様は、私達に聞く耳をもって下さいます。

どんな悩みを持っているのか、どんな苦しみがあるのか、どんな夢や希望を持っているのか。それを神社で素直に話せば良いのです。

そうすると必ず神様はその思いに応えよう、力になろうと思って下さいます。

月参りに来られる方の雰囲気が一様に違って見えるのは、その方々が神様から恩恵を受けているからです。

神様と語らい、神様に愛され、そして愛を返したからこそ、何かを得ているのです。

得ているからこそ、自分に自信を持てるし、神様に失礼のないように所作も作法もよりしっかりしようと思える。

恩恵に預かった分、身なりも綺麗に整えられる一定の経済力が持てるのです。

 

月参り前夜の食事

もう1つ「月参り」に大事なことは、その神社の「神使」である動物に関わる肉を参拝前夜に特に食べないようにするということです。

ご祭神は寛大でいらっしゃるのですが、ご祭神の命を受けて実際に崇敬者のために動く「神使」「眷属神」は、こうしたことを気になさるようです。

例えば稲荷神社へ参拝する時に、前夜に四つ足の動物の肉を食べるのは、なるべく避けるべきです。

これは稲荷神社の神使であるお狐様が、四つ足の動物の肉食をあまり好まないためです。また、全国の天神社、天満宮の神使は「牛」ですが、氏神様が天神社、天満宮である場合は、前夜に牛肉を食べることは避けた方が良いでしょう。

ですから、自分の行きたい神社の神様がどなたであるか、また神使がどんな動物なのかを知っておくのは大切なことなのです。

氏神様がどこの神社であるかは、お住いの地域各県の神社本庁に電話で問い合わせをすれば教えて下さいます。

分からない場合は、お住いの場所にほど近い、自分が鳥居をくぐって居心地の良いと感じる神社か、最も規模の大きな神社へ参拝なさって下さい。

 

氏神様は開運のためのバッテリー、月参りは充電!

月参りに関わらず、神社に行かれる際は、心の中でも良いので神様に語りかけて下さい。

私は自宅近くにある神社へ月参りに訪れた際は、神域の森の中に一人佇んで、声を出して神様に語りかけるようにしています。

まず今の自分の状況を正直にお伝えをし、今後どうなっていきたいかをなるべく具体的にお話しします。

希望だけではなく、それを実現させるためには自分がどんな努力をする必要があるかもお伝えをします。

そして、その神社のご祭神のお名前をしっかりと言うようにしています。

誰にお話をしているかを明確にするためです。

自分の希望ばかりを言いますと、全てを神様に委ね切っていることになり、それは甘えにもなりますから神様は、本人のためにならないと、そうした他力本願な願いは聞いて下さらないからです。

パワースポットと呼ばれているような有名神社では、参拝させて頂けたことの感謝を伝えるだけに留めて、氏神様への参拝では日頃の感謝と共に神様と語らう時間を作るのが、私の参拝方法です。

もし神様が、その人の願いや思いに報いようと思って下さった折には、氏神様の命により眷属神が動きます。

そして有名神社に参拝した時に、前述した「神性のネットワーク」を通じて氏神の力が増幅したり、更なる後押しを受けることになります。

ここでも大事なのは、その元となる氏神様なんですね。氏神様は私たちの開運を起動させるための「バッテリー」の役割を持ち、月参りという行為は、その「バッテリー」に充電をすることに等しいのです。

マスコミや他人が賞賛する「パワースポット」よりも、自分だけの「パワースポット」を作って、そこを「家族」のいる「実家」だと思って通い続けましょう。

きっと様々な場面で助けてくださることでしょう。

「通い続ける」ことに意味が生じてきます。

月参りは1日と15日の月2回ですが、そこが心地良いと感じられる場所なのであれば、月に何度でも通われて構いません。

月に数度の参拝を最低でも3年から5年ほど続けると、見違えるほど人生は変化します。月参りをしている人と、していない人の人生の違いは明らかです。3年間は、ひたむきに通ってみて下さい。

私自身もそうでしたし、氏神様の元へ雨の日も風の日も通い続けて人生を好転させた人を多く見て来ました。

しかし、それは「結果」として「好転」という現実があるのであって、「好転」だけを願って通うのではなく、神様と語らう中で自分の欠点や愚かさを正視し、顧りみながら、自分自身に立ち向かう姿勢が必要です。

「神様に頼る」「神様を心の糧にする」それは尊いことなのです。

 

パワースポットの名付け親

余談ですが「パワースポット」という和製英語は誰が最初に言い始めたのか、ご存知でしょうか。それは日本を代表する超能力者・清田益章さんです。

少年時代から、その類い希な超能力でマスコミを賑わせました。今でも「スプーン曲げ」の力は健在です。

そんな彼が東京・荒川の土手を歩いている時に、突然に全身に力が漲るのを感じました。まるでスポットライトを浴びせられたように目の前が明るくなり、力が漲る。

そんな場所を「パワースポット」と名付けます。後で調べると、その場所は遥か昔に神社だったことが分かります。

ここでお分かりの通り「神社がパワースポット」なのではなく、「パワースポットに神社が建っている」のです。

またこの話の続きはいずれかの機会に。

 

「月参り(朔日参り・十五日参り)」まとめ

久保多渓心 のプロフィール

久保多渓心

画家の父、歌人の母のもと、福岡市博多区で生まれる。

バンド活動を経て、DJ、オーガナイザーとしてアート系イベント、音楽イベントなどを多数手掛ける傍ら、フリーライターとしても活動。

音楽雑誌でのアーティスト・インタビュー記事、書籍、フリーペーパー、WEBなどの媒体で政治、社会問題から、サブカルチャー、オカルトまで幅広いジャンルでコラムを執筆。

引きこもり、不登校、心の病など自身の経験を活かし「ピアカウンセリング」を主軸にしたコミュニティを立ち上げる。後にひきこもり支援相談士として当事者やその家族のサポート、相談活動にあたる。

現在は亡き父から継承した一子相伝の墨を用いた特殊な占術『篁霊祥命』や、独自のリーディングによって鑑定活動を行っている。2021年で鑑定活動は16年目を迎える。

月参り、寺社への参拝による開運術の指導なども行う。

『AGLA(アグラ)』スーパーバイザーを務める。

2020年10月より活動名をマーク・ケイより、久保多渓心に改名。

おすすめ関連記事

2021 06/21

【"月参り"で人生は変化する!】〜 参拝の効果を感じられない時に覚えておきたいこと 〜「鳥居之祓」を唱えて神様に自分の存在を認識していただく